山名/標高 | 関山(せきさん)/619m |
登山日・天候 | 2003年6月15日(日)・曇 |
行程 | 白河関跡〜内松公民館(11:30)〜登山道〜車道出合〜山頂・満願寺(11:55)〜(折り返し)〜内松公民館(12:25) |
白河市の南東にある山で、山頂には満願寺観音堂(本堂)が置かれている。市の説明板によると「関山満願寺は天平二(730)年、聖武天皇の勅願によって行基が開山したのがはじまり」とされ、観音堂内には聖観音像、薬師如来像のほか、弘法大師が使用したといわれる五智宝冠が納められている。同じく山頂にある銅鐘(左画像)は、寛文五(1665)年、白河城主本田忠平が寄進したもので、国の重要美術品に指定されている。
「奥の細道」として知られる松尾芭蕉の東北・北陸紀行の途中、元禄二(1689)年卯月二十一日(陽暦6月8日)に関山へ詣でたとの記述が、同行した門人曾良の日記に残されている。 「曾良旅日記」より(岩波文庫"おくのほそ道"所収、原文カナ)
|
前日の赤面山〜三本槍岳往復でかなり疲れたうえ、日曜日の天気予報は雨。ゆっくり寝ているつもりだったのだが、当日の天気は曇りで、降水確率も10%くらいとのこと。 山へ行こうかと迷ったが、足も疲れているし、どうせなら気分を変えて・・・と、市内から南に12kmほど下った場所にある国指定史跡「白河関跡」を訪ねてみることにした。 なお、今回の移動はすべて自転車を利用。 |
白河の関は、古くよりみちのくの関門として歴史にその名を刻み、また文学の世界では歌枕として数多くの古歌に詠まれた場所である。 関の位置については久しく不明であったが、江戸時代中期、時の白河藩主松平定信の考証により、この地が白河関跡であると推定され、寛政十二(1800)年に「古関跡」の碑(左画像)が建てられ、今日に至っている。 また、春には藤やかたくりの花が咲き、訪れる人々の心を和ませている。 (市の説明板より抜粋) 都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関 能因法師 |
心許なき日かず重なるまゝに、白河の関にかゝりて旅心定まりぬ。「いかで都へ」と便求めしも断也。中にも此の関は三関の一にして、風騒の人心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改めし事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。 卯の花をかざしに関の晴着かな 曾良
松尾芭蕉「おくのほそ道」より |
白河の関を後にし市内方面に足を向けると、形の良い山が道の向こうにそびえている。あれが、関山。 登山ガイドブックに紹介されており、白河の関から近い(約2.5km)ことは知っていたが、もともと山に登る気はなく何の準備もしていない。どうしたものか・・・ せっかくだから、登って帰ろう。 |
関山は白河市の山だが、登山道は表郷(おもてごう)村の内松地区からはじまる。 公民館前から山頂までは1.5kmのお手軽ハイキングコース。最初は舗装路だが、すぐに七地蔵の建つ登山口を経て杉林の中の地道に入る。昨夜の雨で地面がぬかるみ、木立の中は蒸し暑い。傾斜は次第にきつくなり、汗がしたたり落ちる。。。 |
20分足らずで「関山満願寺」標石の立つ広い道に出る。 未舗装だが自動車でも通れそうな道(実際は車止めが置かれ通行できない)をさらに5分ほど上り、満願寺本堂前に出る。 |
人影なく、ひっそり静まりかえった満願寺本堂。
(左)の仏像の手前に「カラス天狗コース登山口」と書かれた小さな標識があった。内松公民館から1kmくらい東にある「硯石磨崖三十三観音」に下る道らしい。 |
本堂の裏手から、樹間越しに白河関方面(左)や白河市街(右)が見える。 近くに木札を納めた二つの小さな祠があったが、曾良の記した「弘法大師・行基菩薩堂」だろうか。 |
下山後、硯石磨崖三十三観音の前を通り国道289号線に出て、白河市内に戻った。