山名/標高 鯛ノ巣(たいのす)山/1026m
登山日・天候 2003年10月8日(水)・晴
行程 登山口駐車場(11:55)〜登山口(12:10)〜鯛流水(12:25)〜こうもり岩(12:40)〜こうもり岩頂上(12:55)〜山頂(13:05)〜大滝(14:15)〜駐車場(14:35)
広島県境に近い仁多町・阿井地区にそびえる山。奈良時代にはこの山を含む一帯が「志努坂野(しぬさかぬ)」と呼ばれていた。現在の山名「鯛ノ巣山」の語源についてははっきりしないが、一説によるとこの地方で山陰−山陽の交易が行われ、日本海産の鯛が取り扱われていたためとも言われている。
登山道はよく整備されており、山頂を通ってもとの登山口に下りる周回ルートがつけられているが、右回り、左回りどちらもかなりの急登。山頂は北側の展望が良く、条件が良ければ出雲市街や日本海まで見渡せる。
「出雲国風土記」(講談社現代文庫・現代語訳)より抜粋
 仁多郡
仁多と名づけるわけは、天の下をお造りになった大神、大穴持命*1(オオアナモチノミコト)がおっしゃったことには「この国は大きくもなく、小さくもない。川上は木の枝が梢を差し交わし、川下は葦の根が這いわたっている。ここは湿地で(=にたしき)こぢんまりとした国だ」とおっしゃった。だから仁多(にた)という。
 山野・河川
鳥上山(現在の船通山)。伯耆と出雲の境。塩味葛*2(エビカズラ)がある。
室原山(現在の三国山)。備後と出雲の境。塩味葛がある。
御坂山(現在の猿政山)。この山には神の御門(みと)がある。備後と出雲の境。
志努坂野。郡役所の西南三十一里。紫草*3(ムラサキ)が少しある。
玉峰山。郡役所の東南十里。古老が伝えて言うことには、山の峰に玉上(タマノヘ)の神がいる。だから玉峰という。
 *1大穴持命:大国主命(オオクニヌシノミコト)の別名。
 *2塩味葛:ヤマブドウのこと。
 *3紫草:紫色の染料に用いる。紫は高貴な色として当時の貴族階級に珍重された。

国道432号経由で県境を越え、島根県仁多町へ。上阿井地区から県道38号に入り、表示に従って登山口に向かう。トイレ付きの駐車場あり。
案内板から舗装路を5分ほどで、登山口に着く。大滝を回る新ルート?はこの舗装路をさらに進むことになるが、今回はガイドブックに載っている「こうもり岩」経由のルートを上りに使うことにした。クマのリアルなイラストに、腰のラジオのボリュームを少し上げて出発。
「鯛流水」と名付けられた3合目の水場。やや埃っぽいので、直接飲むのは避けた方が良い。山中は水が豊富で、この前後にもいくつか水場がある。
この山のふもとを流れる矢入川は斐伊川源流のひとつ。
4合目のあたり(標識は3合目と6合目しか見えなかった)から6合目まで直登の急坂が続く。
5〜6歩進んでは一息入れながらゆっくり上ってゆくと、道の側に木製のベンチが並んでいる場所に出た。視線を上げると、坂の上には壁のような巨岩が立ちはだかる。
「6合目・こうもり岩」と案内板にある。
こうもり岩の脇を登ってゆく鎖場もあるらしいのだが、今回はそれに気づかず、岩の左側を巻いて登山道をそのまま進む。先ほどまでのような急坂はなくなったが、相変わらず上り一辺倒。
道はいったんこうもり岩を離れるが、折り返して再びこうもり岩の上部に出る。ここで山頂への上り道と、こうもり岩頂上に向かう下り道とに分かれる。
数十mの急坂を下ってこうもり岩頂上(左)に立ち寄ってみたが、想像していたほどの眺望はなかった。

山頂に到着。北側の眺望が良く、案内板にはたくさんの山名が書かれていたが、出雲地方の山については残念ながらほとんど知識がない。
2年前に登った玉峰山が眼下に小さく見えたが、そのむこうにそびえているはずの大山は霞んで見えなかった。

山頂から南に数百m進むと、東側の展望が良い場所がある。ここからは猿政山が目の前に大迫力で迫ってくる。
下山には大滝を見ながら下るルートを利用。
こちらの道はすこし大回りで時間はかかるが、上りルートほどの急坂ではないように感じた。
大滝はルート上からも眺めることはできるが、滝壺から全体を見渡すには道を外れ、沢をよじ登って行くことになる。玉峰山の男滝・女滝に感じが似ていた(周囲が暗くて写真はうまく撮れなかった)。

下山後は再び広島県に入り、君田温泉〜三次IC経由で山口に戻った。