山名/標高 宝満(ほうまん)山/830m
仏頂(ぶっちょう)山/869m
頭巾(とっきん)山/901m
三郡(さんぐん)山/936m
愛嶽(おだけ)山/432m
登山日・天候 2004年12月13日(月)・晴
行程 竈門神社(07:10)〜登山道入口(07:15)〜林道終点(07:40)〜一の鳥居(07:43)〜殺生禁断碑(08:05)〜百段がんぎ(08:10)〜中宮跡(08:15)〜男道〜益影の井(08:25)〜宝満山山頂(08:35)〜仏頂山山頂(08:50)〜長崎鼻(09:00)〜頭巾山山頂(09:25)〜三郡山山頂(09:40-09:50)〜(折り返し)〜羅漢道〜中宮跡(11:30)〜行者道〜鳥越峠(12:10)〜愛嶽神社(12:15)〜竈門神社(12:40)

三郡山山頂の奇妙な風景。
福岡市の東側、南北約10kmにわたって連なる山群を「三郡山地」と総称し、その最高峰が三郡山。
その名のとおり糟屋・嘉穂・筑紫(現・筑紫野市)三郡の境界に位置する山で、明るく見晴らしの良い山頂からは大きな展望が広がるが、周囲に航空灯台の施設が建ち並び、登山というよりSF映画のセットに入り込んだ気分。目の前のレーダーに監視されているようで落ち着かない。
この山の魅力は北の若杉山(681m)から南の宝満山まで続く縦走路と、その道沿いに見られるブナを含む自然林に負うところが大きい。新緑・紅葉のほか、厳冬期には霧氷や氷結した滝も見られる。
三郡山の南西に位置する宝満山は、古くは「御笠山(二日市や筑紫野からの山容が笠に似ていることから)」「竈門(かまど)山(太宰府から眺めると大岩を頂いた山の上に雲がたなびき、かまどで煮炊きしているように見えたことから。山頂の大岩を竈門岩ともいう)」の別名でも呼ばれ、現在の名前は神仏習合によってこの山に鎮座する神を「宝満大菩薩」としたことによるものとされる。

九州自動車道・須恵PAからの眺め。
古くから霊峰として崇められ、空海をはじめ多くの高僧が入山したと伝えられている。福岡都市圏に近いこともあり現在も訪れる人が多く、九州でいちばん登山者の多い山といわれる。
西麓にある竈門神社は太宰府の鬼門に位置することから魔封じのために建立された神社であるが、現在は厄除けのほか縁結びにも御利益のある神社として信仰を集めている。宝満山への登山道はここを起点とする正面登山道(九州自然歩道)に加え宇美町、筑紫野市からも数コース、さらにルート間をつなぐ枝道もいくつか延びており、バリエーション豊か。

  春はもえ 秋はこがるるかまど山
  霞もきりもけふりとぞみる        清原元輔

夜明け前、竈門神社正面の駐車場にもぐり込み、空がしらじらと明るくなりはじめた7時前に神社の境内へ(写真はいずれも下山後に撮影したもの)。
竈門神社本殿の左手に宝満山登山道の看板があり、これに従っていったん境内を出たあと坂を少し上り、一合目の鳥居をくぐって登山道に入る。
薄暗い森の中、よく踏まれた道を辿る。道はときに横木が渡してあったり石が積まれて階段状になっていたりと、邪魔に感じない程度に歩きやすく整備されている。途中で何度か舗装路を横切るが、これは二合目「一の鳥居」の直下まで延びている林道で、若干の駐車スペースもある終点からは石段を5分足らずで一の鳥居。その先もずっと石段状の上り道が続く。
五合目「殺生禁断碑」を過ぎた頃から周囲の木々が少しまばらになり、木の間から時折太宰府市街の展望が広がる。朝もやのせいか遠くまでははっきり見えないと思っていたら、この日は結局下山まで遠望の聞かない空模様だった。
今年は秋になっても初冬を迎えても、澄んだ空気の中遠望がどこまでも広がる・・・といった感じの日が非常に少ない。これも異常気象のせいだろうか。
「黄砂が降ってるのでは?」と言う人もいる。
六合目あたりから始まる急な石段「百段がんぎ」(左縦長写真)を上りきると七合目。そこからもう少しの上りで道はいったん平地の広場に出る。ここは修験道が盛んだった時代、十一面観音を祀る講堂や五重塔などが立ち並んでいたといわれる「中宮跡」。この先で道は「羅漢道=左」「男道=中央」「女道=右」の3つに分岐するが、上りでは男道を利用。
竈門岩を巻きつつ、足下に岩を踏みしめながら高度を稼ぐ、男性的なコース。
男道の途中(脇道を20m下る)にある「益影の井」。名の由来は「人がこの水に影を映すと、老顔も益々若く少壮のごとく映る」(筑前国風土記)と言い伝えられてきたことに由来するもの。
この井戸からさらに大岩の立ち並ぶ上り道を10分ほどで「宝満宮」の社が建つ宝満山山頂。近くの大岩の上に立つと、ほぼ360度の大展望が広がる。

山頂大岩の上から南〜西〜北にかけての眺め。やはり霞がかかったようで遠望がきかない。
山頂から三郡山への縦走路へ。鎖のつけられた急な岩場を下り、ツガ、モミに時折ブナの混じる自然林の中を行く。
10分ほどで仏頂山山頂。現在は縦走路上の1ピークといった感じの扱いだが、史料によるとここがかつての宝満山山頂だとか。
石祠が置かれた仏頂山山頂。地面に散らばるさざんかの花びらが冬枯れの景色の中でひときわ鮮やか。祠の中に安置された座像は、宝満山開山の祖、心蓮上人。
心蓮上人は白鳳二(673)年、竃門山=宝満山を開山、その山頂(現在の仏頂山)に草庵をむすんだという。のちに天武天皇の勅を得て竃門山神の上宮を建立。白鳳二(683)年6月10日に入寂と伝えられる。現在の石祠(心蓮上人墓祠)は昭和53年に再建されたもの。
仏頂山を過ぎてしばらく行くと、大きな白い建造物を頭の上に載せた三郡山の山頂部が木の間に見え隠れし始める。まもなく「長崎鼻」の標識が立つ見晴らしの良い岩場に到着。ここからは三郡山・航空灯台が一望できる。
大平山、西鳳翩山などアンテナ銀座の山は珍しくもないが、丸いレーダードームはさすがに珍しく目を惹きつけられる。縦走路はこの先再び自然林の中に入り、緩やかなアップダウンが続く。
縦走路の途中に「頭巾山頂←100m」の標識を見つけ、立ち寄ってみることにした。この脇道は頭巾山経由で宇美町の「昭和の森公園」登山口まで続いている。下山の所要時間は標識によると80分。
頭巾山山頂は木に囲まれてあまり眺望がない。葉の落ちた枝越しに仏頂山が見える程度。
頭巾山から10分ほどで目の前にレーダードームがひときわ大きくそびえ立つ広場に出る。ここからは航空灯台施設の外壁に沿って迂回し、舗装路に出て少し上り、鉄柵の横につけられた入口から登山道に入り、左の金網に張り付くようにしてトラバース。道幅は30cmくらい?右は急斜面で足を滑らせると一気に転げ落ちそう。ここを抜けるとすぐに一等三角点の山頂。

ドームの中でレーダーの回る音だけが響く山頂。自分の動きもキャッチされ続けているようで落ち着かない。
(左)三郡山山頂から南東、古処・馬見山地の眺め。ここも空気が霞んでぼんやりとしたシルエットしか判らなかった。

縦走路を折り返して現・宝満山山頂直下からはルートを右に取り、羅漢道に入る。その名のとおり路傍に多くの石仏が置かれた道で、ここだけは登山者もなくひっそりとしている。

羅漢道はメインの自然歩道に比べ道が不明瞭で判りにくい。(左)の標識は登山道の進行方向を左上に示しているが、矢印部分が腐蝕しているのでうっかり見落として直進してしまった。幸い、その先が切り立った岩場だったのですぐに引き返せたが。
小一時間かけて羅漢道を抜けだし、中宮跡からはまた小さな標識に従い「行者道」の細道へ。途中、反射板の先で「天狗道」と分岐し鳥越峠へと下る。
方位板が立つ鳥越峠(ガイドブックによっては鳥追峠)からは、標識に従い広い道を直進して愛嶽山へ。石の鳥居、赤い三連の鳥居をくぐり、急な石段を登ると愛嶽神社の本殿。
小さな石祠の中に馬にまたがった軻偶土神(かぐつちのかみ)が祀られており、祠の左右を役行者と飯綱権現(外観は天狗)の像がかためている。牛馬安全・五穀豊穣の神として信仰を集めていたことが江戸時代の記録にも残る由緒ある神社である。
下山路はこの神社の手前から左の木の幹の中に彫られた観音像を見て祠の背後へと下る。
愛嶽神社の裏手からから杉林の中を下り、沢ぞいに出てしばらく歩き、少し開けた場所から池のほとりを下ると竈門神社の境内に戻る。
登山口手前のそば屋で食事のあと駐車場に戻り、往きとはうって変わって交通量の増えた国道3号線〜九州自動車道を通って帰途についた。