山名/標高

右手前が五葉岳。左に延びる稜線上の突起が兜巾岳。その奥に傾山。
お化粧(けしょう)山/1450m
お姫(ひめ)山/1550m
乙女(おとめ)山/1517m
五葉(ごよう)岳/1570m
兜巾(とっきん※)岳/1450m

※頭巾岳とも表記される。

登山日・天候 2005年4月30日(土)・晴のち曇
行程 日隠林道〜登山口(06:50)〜ヤマシャクヤク群落〜お化粧山(07:45)〜ブナの三叉路(08:20)〜お姫山(08:45)〜乙女山分岐〜〜乙女山(09:05-09:30)〜乙女山分岐(10:00)〜五葉岳(10:25-10:40)〜奥州屋の別れ〜昼食(11:20-12:05)〜兜巾岳(12:15)〜奥州屋の別れ(12:35)〜大吹鉱山跡(13:20)〜登山口(14:00)
祖母、傾から大崩にかけての山域では、4月末から5月上旬にかけて山中に自生するアケボノツツジが開花し、山肌をピンクに染め上げる。お姫山、五葉岳、夏木山など大崩山地北側の山群にも、この時期色鮮やかな風景を見に多くの登山者が訪れ、登山口へ通じる道は悪路にも関わらず行き来する車でごった返し、登山口付近に駐車するのにも苦労する。


大吹鉱山跡地
この山域は錫、鉛などの鉱物資源が豊富で、西麓の見立地区は1627(寛永8)年の大吹鉱山発見と共に発展してきた。1924(大正13)年、英国人実業家ハンス・ハンターが経営権を譲り受けてから、開戦の気運が高まり外国資本での経営が困難となったため鉱山を手放す1940(昭和15)年までの間が鉱山の最盛期で、当時の人口は多いときは1200人(340戸)を超え、山腹に住居が軒を連ねていた。また、ハンターや英国人技師の宿舎として建てられた英国館(見立鉱山倶楽部)には、自家発電による電灯や冷蔵庫、蓄音機など当時最新の文化が次々と持ち込まれ、山に住む人々を驚かせた。クリスマスにはパーティーが催され、来客にアイスクリームやケーキが振る舞われ、凍てついた日之影川でスケートを楽しむ者もいたという。
鉱山は戦後衰退し、1969(昭和44)年に操業を停止した。その後1986(昭和61)年に鉱山資料館として復元された英国館は、日本建築と洋風建築を融合させた独特の建築様式が高く評価され、2001(平成13)年に国の有形登録文化財の指定を受けた。


お化粧山山頂にある、山名の由来を記した説明版。表面が朽ち、字が消えてほとんど読めない。
お化粧山と名付けられた1450mの平らなピークは、この鉱山に売られてきた女たちが山を越え、鉱山町を見下ろすこの場所で休憩し化粧を直したことに由来する。鉱山が栄えていた頃は多くの遊女もこの地に暮らし、山中には女郎墓や女郎屋跡などが残されている。
ある夜、鉱夫たちが寝泊まりしている作業小屋に白い着物を着た美女がふらりと訪れ、鉱夫たちの寝顔を一人一人のぞき込んではニッコリと笑い、山の中へ消えた。翌朝見ると、鉱夫たちは全員のどを噛み裂かれて絶命していたという。この女が去っていった山がお姫山。この地で寂しく果てた女たちの怨念だろうか。
乙女山はお姫山の東に延びる岩稜の1ピーク。展望が良く周囲の風景も良いので最近人気が高い。五葉岳はこのあたりに多く自生する五葉松が名前の由来。兜巾(頭巾)岳は山の形から名付けられた。

登山口までは道幅が狭く曲がりくねった未舗装の林道が5km以上も続く難路。乗用車でもいちおう乗り入れ可能だが4輪駆動車の方が心強い。登山道はよく踏まれているが分かれ道が多く、標識や地図で確認しないと思わぬ方向に迷い込んでしまうおそれがある。岩場、急坂が多いので足元にも注意。

夜の明けきらぬ5時30分に河鹿荘を出発、林道を進み約1時間後にお化粧山登山口へ到着。早朝にも関わらず車が道端にあふれ、少し後からツアー客を乗せたマイクロバスまでやってきた。「九州最後の秘境」は、朝からとてもにぎやかである。
お化粧山への登山道の途中にはヤマシャクヤクの自生地があるが、つぼみばかりで開花しているものはひとつもなかった。
お化粧山への上り道はかなりの急坂。途中振り向くと、昨日登った二ツ岳(左)や林道の名の由来である日隠山(右・1544m)が見える。
傾斜が緩やかになると間もなくお化粧山山頂。木の根が張りだした平坦なピークで一息つき、お姫山を目指す。後ろから意外と足の速い団体様ご一行が追いかけてきた。
お化粧山を過ぎると、登山道の周りにはブナに混じってアセビの巨木が目につくようになる。場所によってはアセビが左右から枝を広げ、小さな花が鈴なりに垂れさがったアセビの回廊となっている場所も。
このアセビ林を抜けると見晴らしが良くなり、お姫山や五葉岳、兜巾岳、振り返ると二ツ岳や傾山のほか、遥か遠くに祖母山のピークも見える。
ブナの巨木が目印の三叉路に到着。
ブナの三叉路は、実は標高1571mでお姫山よりも高い。三叉路を過ぎてしばらくは下り気味の道が続くが、スズタケに囲まれたお姫山の山頂は不気味な伝説に相応しく黒々とした大きな岩で、ロープを伝いへばりつくようにして上って行くことになる。
枯木が印象的なお姫山山頂。後ろから団体の一行が登って来はじめたので、眺めを楽しむ余裕もなく通過してしまった。そのまま乙女山へ。
乙女山への縦走路は、以前はもっと荒れた道だったようだが、登山者の増加により知名度が上がり、分岐に「乙女新道」の標識がかかり、道も整備された様子。とはいえ道は狭く、岩場を上り下りする場所もあるのですれ違い時には注意が必要。
乙女山山頂付近は、岩と枯木と緑が自然に組み合った日本庭園的な雰囲気。そこにアケボノツツジの艶やかな色が調和を乱すことなく加わり、その彩りの美しさにしばし酔いしれる。展望も非常に良い。

乙女山山頂からの眺め。先ほどからの団体は、幸いここをパスして五葉岳に向かった模様。
(左)乙女山の庭園越しに望む鹿納坊主。この日の袈裟はやや薄めのピンク。

乙女新道を引き返し、分岐から五葉岳へ。五葉岳山頂への上りはこの日最後の急登。登りきった岩のピークにはたくさんの人が並び、記念写真も順番待ち&交互に撮影という状態。岩場の隅で邪魔にならないように写真を撮り、頂上から少し離れた場所で休憩をとった。


五葉岳山頂から、祖母〜傾の稜線を一望。

同じく五葉岳山頂から、来た道を振り返る。遠くにあるはずの大崩山がひときわ大きい。
(左)五葉岳山頂の人だかり。

少し休んで、本日最後のピーク、兜巾岳に向かう。五葉岳から兜巾岳にかけての縦走路上にはアケボノツツジが多く、例によって青空をバックに花の写真を・・・と思ったら、いつの間にか空は雲に覆われ、天気予報どおりの下り坂。

縦走路の途中で道を少しはずれ昼食の後、兜巾岳山頂に到着。ここにはアケボノツツジに加えシャクナゲも多いが、開花はまだこれから。

下山路は来た道を引き返し「奥州屋の分かれ」と呼ばれる分岐を大吹鉱山(跡地)方面に下る。

(左)五葉岳と兜巾岳の間にせり出した岩峰には、アケボノツツジがびっしり。ここにもいずれ乙女山のように道が開かれるだろうか・・・?

奥州屋の分かれから、五葉岳を眺めながらぐんぐん高度を下げる。兜巾岳の南斜面は伐採が進み、切り株ばかりが並ぶ異様な光景が広がる。

林道との合流点手前に、ヤマシャクヤクの群落がある。こちらの花はほぼ満開の状態だったが、午前中に伝え聞いた話では「まだ咲いていない」とのことだったので、この日の陽気で一気に開花したのかもしれない。
林道に出て分かったことだが、この日は五葉岳の山開きの日だった。祭壇に御神酒が置かれていたが、すでに神事は終わり片付けがはじまろうとしていた。
林道からは、車を置いた地点まで新緑を眺めながら歩いて下る。明日は雨かな・・・?

翌日は雨のため、登山を中止して朝から山口への帰途についた。
皆さんお疲れさまでした。