山名/標高 古処(こしょ)山/860m
屏山(へいざん)/927m
馬見(うまみ)山/978m
登山日・天候 2009年9月26日(土)・晴ときどき曇
行程 本覚寺前(07:30)〜五合目駐車場(08:00)〜水舟(08:20)〜縦走路分岐(08:25)〜馬攻め〜古処山(08:40-08:55)〜屏山(09:30)〜宇土浦越(10:05)〜馬見山(10:35-10:45)〜御神所岩(10:50)〜(折り返し)〜屏山(12:15)〜大将隠し・奥の院〜古処山(13:10)〜旧八丁越〜だんご庵〜本覚寺前(14:35)
秋月から望む古処山(左)・屏山(右) 古処山は福岡県朝倉市(旧・甘木市)と嘉麻市(旧・嘉穂町)の間にそびえ,古処・馬見山地の西端のピーク。全山が石灰岩でできており,白い岩が多いことから白山(はくさん)とも呼ばれる。また,このことから山頂には白山神社(北陸の白山神を祀ったもの)が建てられている。
古くは山岳宗教の聖地として知られ,伝教大師(最澄)が山中で薬師如来像を彫ったという伝説がある。鎌倉時代から戦国時代末期にかけては,周辺を治めた秋月氏の居城(古処山城)が築かれ,難攻不落の堅城と称えられたが,1587(天正15)年に秋月氏が豊臣秀吉による九州征伐に敗れ日向国(宮崎県)へと移封されたことに伴い,廃城となった。江戸時代になって秋月藩が成立すると古処山は藩の直轄地となり,景勝地として親しまれるようになった。頂上付近に今も山城の痕跡が残り,一部の岩場に「大将隠し」「奥の院」などの呼び名が伝えられている。
山頂一帯に残るツゲの原始林は特別天然記念物に指定されている。

2004.11に東の嘉麻峠から縦走を試み,途中時間切れで引き返した古処山に,今度は西麓の秋月から登り,そのまま馬見山まで縦走往復することにした。
秋月の町から少し車道を上り,登山道の標識に従い細い道に入る。本覚寺の前を抜けるとすぐに登山者用の駐車場がある(前後に2ヶ所)。
登山道は,最初のうちは舗装された広い道だが,これは途中の渓流沿いにあった秋月キャンプ場への通路を兼ねていたからだろう。このキャンプ場は,現在設備が撤去され空き地となっていた。
キャンプ場(跡)を過ぎると,道は次第に登山道らしくなってきた。五合目までほぼまっすぐな上り。森の木々の間に朝日が輝きだしたが,足下はまだ薄暗い。
山頂に白山社が祀られ,山岳宗教の聖地とされていた場所だけに,山頂部はもちろん登山道の途中にも石仏が多い。頭にバンダナを巻かれた仏様は,よほど古いものなのか顔がすり減ってしまっていた。
五合目で古処林道といったん合流。林道はここが終点で,舗装された駐車スペースとなっており,登山者にも利用されている。
五合目駐車場を過ぎると,傾斜がやや強くなる。石畳状の路面は,参道の名残か,自然歩道として整備されたものか。
「紅葉谷コース」の分岐を過ぎて,「三角杉」(左)の前に出る。この名は,木の幹が三角なのではなく,この辺りの杉林を麓から眺めると三角形に見えたことに由来する。
「水舟」は,かつて山城の水場だったところ。石仏の前に置かれた石造りの水槽?には水が貯まっていたが,飲めるかどうかは不明。
水舟を過ぎると間もなく,縦走路との分岐点に出る。屏山・馬見山を目指すならこのまま縦走路に向かえばよいが,もちろん古処山頂を経由して縦走路に入ることも可能。とりあえず山頂を目指した。
古処山頂に向けて次第に道は細くなり,ツゲ原生林が密集してあたりはうっそうとしてきた。
頂上はまだかと思っていたら,不意に視界が開けて青空の広がる広場へ飛び出た。中央には避難小屋も建っているこの場所を「馬攻め」と呼ぶ。
頂上広場といった感じだが,実際の山頂まではもう少し岩場を上らなければならない。周囲には石仏が並び,厳粛な空気が漂う。
(左)山頂に続く岩場からは,秋月の町が眼下に見渡せる。

小さな祠が祀られた古処山頂。ご神体は丸く磨かれた石(たぶん石灰岩)だった。この山頂からはあまり展望はきかないが,周囲に立ち並ぶ巨岩のなかには,上に登れるようにロープの付けられたものもある。岩の上からは,360度の展望が楽しめる。


東に続く稜線。屏山と馬見山の間にかかっていたガスは,時間とともに消えていった。遠くに英彦山の荒々しいシルエット。

北面,筑豊方面を一望。左手に悠然とそびえる三郡山地。右手奥には福智山地が霞む。
山頂部に露出した石灰岩の間をすり抜けるように東に向かい,縦走路に合流。ツゲ,ブナに加えカシなどの照葉樹がいり混じった樹林帯を屏山方面に向かう。
古処山から屏山まで片道1.7km,標高差は67mで,縦走路にも大きな起伏はなく緩やかな上りという感じで歩きやすい。古処山〜屏山をセットで歩く登山者は多いようである。
古処山頂では大きく居座っていた石灰岩が,屏山に近づくにつれて小さくなってきた。道端に並ぶ姿は時に石仏のように見え,本物かと近づいてみたらただの石だったということもしばしば。中には本当に「風化した石仏」も混じっていたのかもしれないが・・・
同じ石灰岩でも,秋吉台や平尾台に並ぶそれは牧歌的な風景を演出し,ここでは一種異様で,神秘的な風景を作り出しているのが面白い。

(左)屏山山頂はちょうどガスの中で展望はなかった。すぐに馬見山へ向かう。

屏山と馬見山の標高差も,数字を比べれば僅か51mだが,途中に鞍部(宇土浦越)を擁しているため,実際の高低差は300m近い。
屏山の隣の小ピークを過ぎるとしばらく下りが続くので非常に楽だが,その後のことを考えると次第に憂鬱になる。どうか1mでも早く上りに転じますように・・・。
途中,森の中を獣の影が横切り,甲高い鳴き声を発しながら足音が遠ざかっていった。
馬見山地で鹿を見てしまった。
宇土浦越に到着し,辛い上り返しへ。途中,開けた場所で振り返ると,屏山のガスが晴れ,山頂部がくっきり。

30分上り続けて到着した馬見山頂は,他に誰もおらず貸し切り状態。近くのベンチに座ると,英彦山や犬ヶ岳が正面に見えるので驚いた。この山の展望については全然記憶がなく,期待していなかったので得した気分だった。


馬見山山頂から,英彦山と犬ヶ岳の稜線を一望。

山頂から少し下った「御神所岩」から筑豊方面を望む。
奥の院 大将隠し 往きはほぼ一人旅だったが,来た道を引き返すと,屏山を過ぎてから多くの登山者と行き交うようになった。
古処山頂の手前で,往きにパスした「大将隠し」と「奥の院」に立ち寄ってみた。往復15分程度。
標識に従い,急な岩場(鎖場あり)を下ると,まず目に入ってくるのが垂直に立った巨岩の間に出来た「大将隠し」。騎馬武者が何とか逃げ込めそうな隙間。さらに下ると,今度は一人が(リュックを下ろして)やっと通り抜けられるくらいに窮屈な「奥の院」。
どちらも天井がないので,雨露はしのげない。
古処山頂で再び展望を楽しんだ後,馬攻めから旧八丁越を経由して下山することにした。
広場の石仏群を後に,北西方面に尾根を下ると,「甘木・秋月」と「嘉穂町」(現・嘉麻市)との分岐標識を甘木・秋月方面に下る。
このルートは九州自然歩道ほどには整備されていないが,よく踏まれており迷いそうな場所は少ない。概ね樹林帯の中を行き,途中で一度林道と交わる。
国道322号線に出て道路沿いに少し下った後,「秋月街道旧八丁越」の標識を見て再び山道に入る。
渓流沿いの石畳の道を下り,キャンプ場を過ぎてもう一度国道を横切り,少し下ると東屋が見えてくる。これは登山口近くにある料理店「だんご庵」の涼み台(桟敷席)の一部で,そのまま下ると店舗の間を抜けて道路に出る。左に少し下ると,間もなく起点の本覚寺入口である。