山名/標高 鷲頭(わしず)山/240m
烏帽子岳(えぼしがだけ)/412m
虎ヶ岳(とらがたけ)/414m
登山日・天候 2009年12月20日(日)・晴
行程 降松神社若宮(11:20)〜中宮公園記念碑展望台(11:45)〜中宮(12:00)〜上宮(12:05)〜中宮別れ(12:35)〜妙見コル(13:25)〜烏帽子岳(13:35-14:00)〜虎ヶ岳(14:15)〜(立岩ルート)〜常安寺(14:50)

前回(09.01.10),茶臼山から縦走路を経由して山頂に立った鷲頭山を,麓の降松神社から登ってみることにした。
降松(くだまつ/くだりまつ)神社は,6世紀末〜7世紀初頭に妙見社として創建され,大内氏,毛利氏の庇護を受け栄えたが,明治初年の神仏分離令により妙見菩薩は鷲頭(じゅとう)寺に遷座,代わりに天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)が勧請され現在に至る。「若宮」といっても風格のある社殿は,下松藩(のち徳山藩に改称)初代藩主毛利就隆毛利就馴により,元和年間(1615〜1624)に現在の地に遷され,その後七代藩主毛利就馴により1767(明和4)年に再建されたもの。

若宮の裏手に回ると,のどかな里山風景が広がる。中央の尖ったピークが鷲頭山。
若宮の参道に掲げられた案内板に小さく「中宮は徒歩直進」とあった。
舗装された上り坂を少し進み,住宅地を抜けると道は細い砂利道となる。中宮まで緩やかな上りが続き,路傍には一丁(約109m)ごとに石造りの道標が立っている。
中宮の周辺は1912(明治45)年に公園が整備され「偕楽園」と名付けられた。展望地が何ヶ所かあり,眺望に乏しい山頂の代わりに素晴らしい眺めを楽しむことができる。

「中宮公園記念碑」の建つ展望地から望む大パノラマ。中央奥に秀麗な金峰山,その右手にある山塊は??
山道の途中に忽然と現れる立派な山門。木像が納められ,格子にはわらじが結わえられていた。往事の繁栄が偲ばれる。
山門をくぐった先は整備された偕楽園の庭園になる。道の両脇に桜が植えられており,花の季節にもまた訪れたくなった。紅葉も期待できそうである。
園内に建つ石碑「周防第一苑」は,地元出身の長岡外史(1853-1933)による揮毫。
上宮の神石 この日は晴れていたが風が強く,寒い1日だった。麓の若宮をうろうろしているだけでも手がかじかんでくるほどで,中宮の手水鉢には正午になっても薄氷が張っていた。
山中の殺生は特に禁じられていないらしく,中宮の周辺ではイノシシ狩りが行われていた。上宮に向かう森の中では猟銃を持った人にばったり出くわし,一瞬肝を冷やした。
中宮からは,茶臼山〜虎ヶ岳の縦走路に向かう。前回ここを往復してから,間もなく1年。あっという間のようだが,振り返ると山の上でも麓の生活でも,いろんなことのあった1年だった。
行く年に思いを巡らせながら淡々と歩いているうちに「中宮別れ」に到着。茶臼山への往復はパスして,烏帽子岳・虎ヶ岳を目指すことにした。
中宮別れから烏帽子岳までの縦走路はよく踏まれており,茶臼山に比べると大きな起伏が少ないように感じた。
標識に書かれた残り数を確認しながらピークを越えてゆくと,やがて樹林帯の上方に尖ったピークが顔をのぞかせはじめた。これがおそらく烏帽子岳だろう。
目的地が近くなると,縦走路を取り囲んでいた樹林が一部で開けるようになった。冬晴れの海を眺めながら小休止。
展望地の先で縦走路はいったん下り,妙見コルから「二段スロープ」と呼ばれる直登路に転じる。長めの急坂を上りきると「烏帽子別れ」。縦走路から少し離れて烏帽子岳山頂へ。
海側の展望は先ほど満喫したので,先月訪れた2つの展望地はパス。わずかに開けた北側は,木々の葉が落ちて若干見通しが良くなっていた。雪を被った長野山〜馬糞ヶ岳の方から,冷たい風が吹き付けてくる。
烏帽子別れから虎ヶ岳へは約1km(標識は1015m)。烏帽子岳より2m高い光市の最高峰までの道のりに大きな起伏はない。
ほぼ360度の絶景が広がる虎ヶ岳山頂には,他に誰もいない。折角の晴天だが,寒さで出足が鈍ったのだろうか。こちらも貸し切りでゆっくり眺めを楽しみたかったが,寒さで長居する気になれず,写真を撮って早々に下山の途についた。

光市街地から琴石山にかけての眺め(南〜東)。期待していた国東半島や四国は,この日も見えなかった。

熊毛の烏帽子岳から高照寺山にかけての眺め(北〜東)。ここも葉が落ちて先月より見通しが良くなっていた。
虎ヶ岳からは熊毛の常安寺に下ることにした。「熊毛コース」は通常,山頂から縦走路を東に下った鞍部の分岐点から北に下るが,山頂からはほかに「滑滝・立岩・常安寺」と書かれたルートも開かれている。今回はこちらから下ってみた。
「防長山野へのいざない」第3集(97年12月)には記載されておらず,比較的最近開かれた登山道らしい。良く踏まれており目印も多いが,かなりの急坂であり,上りに使うと苦労しそうである。途中には「展望所」があったが,10年ほどで周囲の木々が伸びたのか,ほとんど眺めはなかった。
江戸時代の隠し田跡や,小さな滑滝を見ながら山道を下り,林道に合流して薄暗い竹林の中を進むと,ギョッとするくらい大きな岩が竹を押しのけるようにして道の端まで迫っている。側に「立岩」の標示があった。
この立岩を過ぎると間もなく常安寺に出る。大内弘世の建立と伝えられる古刹で,毛利藩の重臣であった粟屋氏の菩提寺となっている。