山名/標高 月山(がっさん)/197m
登山日・天候 2010年5月29日(土)・晴
行程 道の駅駐車場・御子守口(14:20)〜山中御殿(14:35)〜三の丸(14:45)〜二の丸〜本丸跡・勝日高守神社(14:50)〜太鼓壇(15:15)〜千畳平〜道の駅駐車場(15:20)

御子守口にある城郭跡模型
月山は,安来市(旧能義郡)広瀬町富田(とだ)にあり,山中には戦国時代の大名,尼子氏の居城として名高い富田城が築かれていた。現在も往時を偲ばせる城郭跡が残されている。
富田城の歴史は古く,平安時代の保元・平治年間に平景清(?-1196)が築城したとの伝承がある。鎌倉時代には,承久3(1221)年の承久の乱の功により出雲・隠岐2国の守護となった佐々木義清が入城。その後歴代の出雲国守護職の居城となり,1486(文明18)年に領主となった尼子経久(1458-1541)によって城域の拡張整備が行われた。その後尼子氏は勢力を拡大し,経久の孫晴久(1514-1561)の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名まで上りつめたが,最終的には毛利氏によって滅ぼされ,城も毛利領となった。
1600(慶長5)年以降は堀尾氏が城主となるが,1611(慶長16)年に堀尾忠晴が松江城に移り廃城。1934(昭和9)年,国の史跡に指定された。日本100名城の一つ。

城跡への進入路は,北麓の菅谷口(すがたにぐち),正面の御子守口(おこもりぐち),南麓の塩谷口(しおだにぐち)の3か所で,進入路はすべて山腹の山中(さんちゅう)御殿に通じている。
道の駅駐車場から城郭跡の模型を見て御子守口を入る。舗装された道が続き,月山山頂へは標識に従いほぼまっすぐに歩く。道が大きく曲がり石垣が現れると山中御殿に到着。

山中御殿は,その名のとおり御殿跡地で,南側上段に城主の館,北側下段に付属の館があったと伝えられる。
山中御殿から山頂部へ続く道は「七曲り」と呼ばれる急峻な道で,現在は石畳で舗装されている。途中に堀尾河内守・掃部父子を供養する親子観音などがある。
七曲りを上りきると三の丸前に出る。石垣の上には古い石造りの鳥居が建ち,その周りに楓の巨木が並ぶ。新緑も美しいが,紅葉も見事なことだろう。
三の丸の先には,展望の良い二の丸。休憩小屋が建ち,ゆっくり景色を楽しむには最適。

二の丸から広瀬の町を望む。町並みの背後にそびえるのは,大内軍・毛利軍が布陣した京羅木山。
二の丸からいったん脇道に下り,山を削って仕切られた堀切を抜けて月山最高地点の本丸へ。自然の地形を活かしながら要塞化された富田城は,その難攻不落ぶりから別名「天空の城」とも呼ばれた。
本丸跡は木々に囲まれた広場で,片隅に山中幸盛(鹿介)の石碑が建つ。
本丸跡の奥に祀られた勝日高守神社は城の守護神社で,築城以前から所在したと伝えられる。祭神は大国主命。拝殿前の阿形の狛犬は古いものなのか下顎が欠け落ちていた。

太鼓壇(たいこだん)は,時と戦を知らせる大太鼓が置かれていたと伝えられる広場。現在ここには山中幸盛の銅像と尼子氏の碑が建っている。