山名/標高 基山(きざん)/405m
登山日・天候 2015年3月28日(土)・晴
行程 基山町運動公園(08:40)〜瀧光徳寺(09:15)〜基山山頂(09:45-10:00)〜瀧光徳寺(10:35)〜きのくに古道〜大興善寺(11:15)〜基山町運動公園(12:05)
基山は福岡と佐賀の県境にあり,佐賀県基山(きやま)町のシンボルとして親しまれている。
665(天智天皇4)年,朝鮮半島にあった百済を滅ぼし,白村江の戦いで日本を破った唐・新羅の次の侵攻に備え,山頂に朝鮮式山城の「基肄城(きいじょう)」が築かれた(基椽城とも表記される)。山域には土塁,城門,水門,建物の礎石など数多くの遺構が今も残されており,国の特別史跡に指定されている。
当時,大宰府を守る大防衛線として,博多湾からの正面に水城,大宰府の北に大野城が築かれ,南の基肄城は有明海からの侵入に備えられた。また,山口県にも長門城が築かれたが,その所在地は現在も不明で特定されていない。基肄城には500人程度の防人が配備されていたといわれるが,結局半島・大陸からの侵攻はないまま,平安時代の初めには軍団は廃止された。
標高が低く,山頂手前まで車道が通じているので,登山としてはやや物足りない感もあるが,基山町や地元の山岳会が多くのルートを整備しているので,山頂を含めての長距離ウォーキングや古道散策,史跡巡りなど,目的や時間に合わせて様々なコースを選ぶことができる。

基山の登山コースはいくつも開かれているが,今回は基山町観光協会が設定している基山山頂を含む1周約13kmのコース(F)を歩くことにした。
基山町運動公園から県道300号線を西に,鳥栖筑紫野道路(県道17号線)の高架をくぐり,2.5kmほどで「瀧光徳寺(りゅうこうとくじ)」に着く。真言宗系の新宗教である中山身語正宗の大本山で,広い境内の中には五重塔や修行僧のための道場や宿舎も建てられている。
とりあえず遠目に五重塔を見て,標識に従い基山山頂へ向かう。県道沿いの標識は基山町観光協会のウォーキングコースを示すものだったが,瀧光徳寺から山道への案内標示は,地元の山岳会が立てたと思われる「きのくに古(参)道」となる。
観光協会のホームページから印刷したウォーキングマップとは少し道が違うような気がするが,そのまま上っていくことにした。
未舗装だがよく整備されたこの山道を20分ほど上ると,駐車場の脇に出る。
駐車場からさらに踏み跡を伝い,草スキー場を横に見ながら斜面を上ってゆくと,平坦な基山山頂に出る。
一等三角点は「防住山」の名で,上ってきた正面の土塁上にある。祠が置かれた岩の後ろに剣の刃先のような「天智天皇欽迎之碑」が空を指している。
さらにその先に展望所(南)があったので,立ち寄ってみた。


展望所からは,東の古処・馬見山地から耳納山地を経て西の背振山地まで,180度以上に展望が開ける。
展望所から三角点に戻り,さらにその先の広場へと向かう。山頂ではちょうどオキナグサが花を咲かせていた。
「特別史跡基肄(椽)城跡」石碑の先にもうひとつの展望所(北)がある。こちらからは背振山から福岡市街,太宰府方面にかけて北側が広く見渡せるほか,すぐ眼下に九州自動車道の「基山」PAを見ることができる。
基肄城の史跡を巡る場合は,ここから南に下ってまっすぐ総合公園に向かった方が良いが,今回は草スキー場側に再度下り,九州自然歩道経由で大興善寺に下る・・・はずだったが,道を間違えてまた瀧光徳寺に下りてしまった。
仕方なく最初に来た道を少し下ったところで,右に「大興善寺への最短歩道」の案内表示を見つけ,そちらに進路を変えた。
この最短歩道は「きのくに古(参)道」の一部で,先ほどの基山への道と比べると踏み跡が細く,やや荒れ気味。それでも最短というだけあって,約20分で大興善寺に到着。
行基の創建と伝えられる古刹で,本道の裏山に植えられたおよそ5万本のツツジが有名とのこと。この時期はツツジには早かったが,本堂前のシャクナゲが満開だった。
本堂の正面から長い石段を下ると,本来のウォーキングコースと合流する。
大興善寺から運動公園までは約4kmの道のり。途中の道沿いには菜の花が満開で,春を満喫しながらの気持ち良いウォーキングとなった。