山名/標高 小五郎山(こごろうやま)/1162m
登山日・天候 2016年11月5日(土)・晴
行程 向峠(08:55)〜金山谷鉱山ルート入口(10:05)〜オンドル跡(10:10)〜休憩所(10:25-10:30)〜寺床(10:40)〜展望台(10:45)〜鉱山跡説明板(11:05)〜山頂(11:35-11:40)〜十王のコル(12:05)〜林道出合(12:45)〜向峠(13:00)

小五郎山メインルートの起点である向峠から,新ルートがある金山谷地区までの距離は5.2kmくらい。今回は向峠を発着点とする周回コースとした。
「向峠にこにこ市」前から深谷大橋方面に進み,向峠西集会所の先で右に分かれる細い車道に入る。車1台分の幅しかなく離合ポイントもほとんどない道なので,金山谷まで車で入る場合は,深谷大橋を渡り島根県側の「長瀬峡」方面に向かう道を利用した方が(こちらも狭い道だが)いくらか通りやすい。
向峠から歩いて1時間ほどで金山谷に到着する。県境の深谷川を挟んで島根県側につけられた道路と交わる橋(甲羅ガ谷橋)の先に「小五郎山登山道駐車場」の案内板があり,舗装路を道なりに上るとすぐに4〜5台分の駐車スペースがある。駐車場からさらに5分ほどの上りで,登山口に到着。
入口に立つ説明板には,ルート上に残る鉱山跡の紹介に加え「ツキノワグマが生息する豊かな広葉樹の大自然を歩きながら小五郎山の歴史探訪を楽しんでください」とのメッセージ。ここまでも鳴らしながら歩いてきた熊鈴の装着状態を再確認して山に入る。
金山谷ルートは,一部を除き山頂まで直登の急坂が続き,向峠ルートに比べ距離は半分程度だが所要時間はあまり変わらないように思われた。
上りはじめてすぐに「温突(オンドル)跡」への道が分かれていたので,寄り道してみた。オンドルは今も朝鮮半島で普及している床下暖房だが,これは小五郎山で銅や銀の採掘が行われていた当時,労働者が寒さをしのぐために利用していたものらしい。
元の道に戻りさらに上ると,やや開けた「休憩所」に出る。急坂の途中にあっていくぶん傾斜は緩やかだが,ここも坂であった。
休憩所から10分足らずで「寺床(修験道跡地)」の前に出る。この先に立てられた説明板によると,小五郎山での鉱石採掘・精錬は,古くは修験僧によって行われていたとのこと。古い鉱山やタタラ製鉄が行われていた山に修験道の痕跡や「役行者」の祠が多いのも,こうした歴史に由来するのだろうか。
「展望台」の標示が立つ岩場から,深谷川を挟んで向かい合う隣の山々を望む。小五郎山と同じくらいの標高を持つ山々だが,残念ながら無名峰で,登山道の話も聞かない。この展望台から少しの間は傾斜が緩やかになり,山頂が近いかと安堵しかけるが,またすぐに急坂に戻ってしまった。
概ね踏み跡がしっかりして分かりやすい金山谷ルートの中で,「小五郎山鉱山跡について」の説明板(説明内容はこちら)手前の分岐路だけは,一見判別が難しい。説明板の奥にも踏み跡が続いているが,少し進むと錯綜してしまう。ここで気づいて引き返さないと,おかしな方向に迷い込んでしまうので注意。
説明板の左手に続く踏み跡を上っていくと(やはり急坂),大岩の前に「坑道(すぐうしろ)」の案内板が立っている。岩の後ろに回り込むと地面に穴が開いているが,土砂や岩で半分以上塞がれ,人の出入りはできそうにない。近くの木の枝には「七号間歩」の標識がくくりつけられていた。
七号間歩から7〜8分ほどで再び坑道跡が現れる。山の斜面に開けられた坑道は内部に入ることも可能であった(入口には調査のためかスコップが置かれていた)が,明かりはなく奥がどうなっているかは見えない。特に注意書きはなかったが,落盤のおそれはないのだろうか。
この坑道跡から山頂までは,相変わらずの急坂を約10分の道のり。足が疲れてきたのでついついロープに頼ってしまう。山登りだけでも結構きつい道だが,鉱石採掘となると麓から坑道まで上り,掘り出した石を抱えてまた下るという相当な重労働だっただろう。
急な上りからようやく解放され,山頂に到着した。「寂地山縦走コース」が左に分岐しているが,歩ける状態にあるのだろうか。
頭上には雲ひとつない青空が広がっていたが,少し霞がかかり遠望は今ひとつ。12年前(あの全山縦走からもう12年!)のように瀬戸内海に浮かぶ宮島は視認できなかった。少し休んで,向峠方面に下山開始。こちらも結構な急坂で,どちらから上ってもきつい道のりだと再認識した。


山頂からの眺め(上)と,向峠コース下山途中の眺め(下)。紅葉はピークを過ぎていたのか,元々色づきが悪いのか,期待したほどではなかった。
山頂周辺の色褪せたような紅葉に対し,十王のコル付近の木々の葉はまだ青々としていた。平地の街中ならともかく,いくらなんでも11月でこの青葉はないだろう。今年のおかしな気候のせいで,小五郎山の中腹は10月上旬の森を見ているようであった。