〜 5q | 23′42″ |
〜10q | 22′17″ |
〜15q | 22′45″ |
〜20q | 22′37″ |
〜25q | 22′52″ |
〜30q | 23′04″ |
〜35q | 23′56″ |
〜40q | 22′37″ |
〜ゴール | 09′33″ |
第44回防府読売マラソン42.195qの部に出場しました。結果は3°13′24″で男子の部で1232位でした。なおこの順位は私のこれまで出場した大会における最低順位です。出場者名簿には原田さん,酒好きランナーさん,三浦さんのお名前が有りましたが,会場でお会いできたのは原田さんだけでした。皆様お疲れ様でした。5qごとのラップは右のとおりです。
今年はいつもより早く7時25分に家を出て,9時前に会場入りしました。早く出た甲斐があって駐車場は出口から至近の場所を確保できました。会場到着時点で気温は4℃ほどで,陽射しがあって風は弱かったのですが,1時間もすると北西からの冷たい風がやや強く吹き始めました。今年の走り納の大会なので好記録を目指したいところですが,風が強かったとき本大会では好記録を残していないので,スタートしてから成り行きで目標を決めることにしました。スタート25分前にスタート地点の整列に赴くと,原田さんと遭遇しました。暫く会話した後原田さんは自らのcJードの整列位置(3200番台)へ戻られました。私のcJードは1777番で昨年より700番も繰り下がりました。これでスタート後はまともに走れないことが保証され,事実12時02分の号砲から競技場トラック,競技場取り付け道路,一般道路に至るまで1qを過ぎるまでは途中立ち止まる必要があるほど,選手がつかえていました。結局1qの通過に6分以上かかり,この時点で昨年より1分遅れとなっていました。
1qを過ぎると漸く自分のペースで走れるようになってきましたが,北西の風は5q過ぎまでは向い風となるので,急激なペースアップは控えました。この時点で目標は3°10′切りとしましたが,達成できる確信は全くありませんでした。5qを過ぎて風が追い風となる区間に入るとペースが上がりました。ただし,第1,第2給水ポイントでは走ってくる選手に対する給水のコップ出しが間に合っておらず,無給水となることを避けるため立ち止まったりしたら,ペースが混乱し一定のペースを保つことができなくなりました。10qを過ぎて再び向い風の区間に入りペースが落ち,15q手前から追い風主体の区間に入るとペースが少し上がるということを繰り返していました。20qを過ぎると暫く向かい替えの区間が続きます。ここから少しだれてきたようです。中間点では後半相当なネガティブスプリットを刻まなければ3°10′は切れないことが明らかになりました。
そうこうしているうちに私が25qに達するはるか手前で,対向車線をトップのオチルバト選手が通過していきました。昨年・一昨年もトップ選手とのすれ違いは私が25q地点に達してからだったので,これは結構堪えました。27qを過ぎてやっと向い風から解放されましたが,もはやペースの維持もままなりません。折り返し点を通過すると,コースの中で最も向い風のきつい区間が始まり,順位も下がり始めました。こうなるとずるずると後退するだけになるのがこれまでの常でしたが,せめて来年の第1カテゴリの資格である3°15′は切ろうと,向い風区間の終わる33q過ぎから意識してペースアップを試みました。すると,時々痙攣の兆候は出るものの脚自体はそれまで以上に動きました。40qまでの5qはそれまでより1分以上ペースアップしました。ここから10分ちょうどで走れば3°15′が切れることが判明したので,ここからは前に見える女性ランナーを全員抜いてやろうと更にペースアップしました。そして,その目論見を果たして来年の第1カテゴリの資格を得てゴールしたのですが,完走証の発行に長蛇の列ができており,寒風吹きすさぶ中20分ほど並んで完走証を手にしました。そんな訳で私以外のメンバーのゴールには立ち会えませんでした。
今回の完走で,1986年9月15日のフルマラソン初挑戦から数えて,フルマラソン完走回数が100回に達しました。50の声を聞く前に達成できて安堵しています。これからの目標はまたゆっくり考えます。
(サスケ)
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