大会名 | 第32回金栗四三翁マラソン大会 | ||||||||||
開催日・天候 | 2015年11月1日(日)・晴 | ||||||||||
開催地 | 熊本県玉名郡和水(なごみ)町 | ||||||||||
部門 |
10km(パリコース),5km(アントワープコース) 3km(ストックホルムコース),1.5km(金栗コース) | ||||||||||
参加者 | 桜井・・・10km | ||||||||||
コース概要 |
和水町(旧春富村)出身で日本人初のオリンピック選手(1912年ストックホルム,1920年アントワープ,1924年パリ)として活躍したほか,1920(大正9)年から始まった東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の開催にも尽力した金栗四三(かなぐりしそう 1891-1983)を顕彰する大会。 和水町三加和公民館前をスタート/ゴールとする概ね平坦なコース。 | ||||||||||
参加賞 | |||||||||||
コメント |
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記録 |
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利用温泉 | |||||||||||
その他 |
1912年ストックホルム五輪のマラソンに出場した金栗四三は,レース途中で日射病のため意識を失い(大会当日は気温が40℃に達したという),近くの農家で翌日まで介抱されていたが,大会本部に棄権を伝えずそのまま帰国してしまったため,オリンピック委員会の公式記録は「競技中に失踪し行方不明」のままであった。 1967年,ストックホルム大会開催55周年記念式典に招待された金栗は,ここでようやくゴールテープを切って「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」というオリンピック史上最も遅いマラソン記録を樹立。場内には「これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とのアナウンスが流れた。 金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしたとのこと。 |