コメント |
楼門(上)と新館(下) |
武雄温泉の開湯は約1200年前と伝えられ,神功皇后が三韓征伐から凱旋の途,太刀の柄で岩を一突きしたところ湯が湧き出たという伝説から,昔は柄崎温泉と呼ばれていた。また,蓬莱山の麓に湧くことから蓬莱泉の呼名もあった。嬉野温泉と同じく,714(和銅七)年に記された肥前国風土記に記されている。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に負傷兵士の湯治場として利用したといわれ,江戸時代には街道の宿場町として栄え,佐賀藩城主の鍋島氏,伊達政宗,宮本武蔵など,多くの大名,文人が訪れた。また幕末にはシーボルト,吉田松陰も入湯したといわれる。
温泉街のシンボルである楼門と新館は,唐津の出身で日本銀行本店や東京駅で知られる建築家辰野金吾(1854-1919)の設計によるもの。1914(大正3)年4月12日に完成祝賀会が開かれた後,新館は1973(昭和48)年まで共同浴場として利用された。現在は楼門と共に国の重要文化財に指定され,内部は資料館となっている。
現在,共同浴場は「元湯」「蓬莱湯」「鷺乃湯」の3軒があり,鍋島氏専用の浴場であった施設は「殿様湯」「家老湯」として貸切風呂となっている。源泉温度は45〜51℃で,元湯の浴槽のうち1つは冷ますことなく源泉そのままの掛け流しである。 |
|