山名/標高 船上(せんじょう)山/616m

(画像は大山山頂より望む船上山全景/2001.09.23) 

登山日・天候 2001年6月30日(土)・曇 
行程 少年自然の家駐車場〜茶園原〜東坂登山口〜薄ヶ原〜寺坊跡地〜船上山神社 〜千丈滝(折り返し) 
南に連なる勝田ヶ山(かつたがせん)、甲ヶ山(かぶとがせん)、矢筈ヶ山 (やはずがせん)と共に、古期大山(約100万年前)の外輪山といわれている。 頂上は広く平坦で、東西及び北は柱状節理による高さ100m以上の崖(屏風岩)で 天然の城塞をなしている。 この屏風岩の南端に、勢いよく流れ落ちる雄滝と雌滝があり、この2つの滝を総して 千丈滝と呼ぶ。
船上山は、平安時代の初期から山岳仏教が栄え、大山、三徳山とともに伯耆三嶺と呼ばれた 修験道の霊場であった。 また、元弘の乱により隠岐へ流された後醍醐天皇が、1333年に隠岐を脱出、名和長年に 助けられ船上山合戦に勝利し建武新政の礎となった歴史の山である。
(少年自然の家・案内板より抜粋)
 

県立少年自然の家駐車場から鳥居をくぐり、茶園原へ上る。
草に覆われた斜面の向こうに屏風岩を身に纏った船上山がそびえ、実際の標高以上の スケールを感じさせる。
山名は、この岩を張り巡らせた山頂部分が船底のように見えるところから名づけられた。
(左)東坂より屏風岩を望む。
登山道はやがて自然林の中へ。木々の間をひんやりとした風が抜け心地良い。
「薄ヶ原(すすきがはら)」に到着。その名のとおり、秋には一面ススキ野原になるという。
標識も三角点も見当たらないが、ここが船上山の山頂(標高615.6m)とされている。 (右)後醍醐天皇行宮の碑
寺坊(智積寺)跡を抜け、船上山神社(標高687m地点)へ到着。 (右)境内の大スギ
隠岐を脱出した後醍醐天皇が約80日間にわたって行宮し、北条氏討伐の謀をめぐらせた 歴史上の舞台である。
もとは神仏混交の霊山だったが、明治11年の神仏判然令により寺は他所に移され、 神社のみがこの地に残された。
現在の社殿は昭和9年に再建されたもの。 屋根は最近葺き替えられたようである。
神社の裏手からは、勝田ヶ山や甲ヶ山への縦走路が続く。
神社からさらに千丈滝源流?へと足を伸ばす。目のくらみそうな断崖から流れ落ちる水。
足元が滑りやすく、身を乗り出して下を覗きこむ気にはなれなかった。 (右)は、桜井選手決死?の撮影。
薄ヶ原まで戻り、「千丈のぞき」に寄り道。屏風岩と雄滝・雌滝を一望できる自然の展望台。
この日は非常に風が強く、断崖を前にしていつも(=高所恐怖症)以上に足がすくむ。

下山後は関金温泉に入浴し、簡易宿泊施設「湯楽里」で1泊。