山名/標高 由布(ゆふ)岳/1584m
日向(ひゅうが)岳/1088m
登山日・天候 2003年8月3日(日)・晴のち曇
行程 正面登山口(09:40)〜日向岳(10:40)〜東登山道出合(10:55)〜東峰山頂(12:05)〜マタエ(12:35)〜西峰山頂(12:50)〜マタエ〜正面登山道〜合野越(14:05)〜正面登山口(14:30)
由布岳は別府市と湯布院町の境界にそびえ、「豊後富士」とも呼ばれる秀麗なトロイデ式火山。山頂部が二股に分かれた双耳峰で、湯布院町側からの眺めが特に良い。古くから人々の目に触れ、その独特の山容や過去の噴火活動などから多くの民話や伝説が生まれ、今も語り伝えられている。
登山道は、別府市から湯布院、久住高原を抜け阿蘇山麓に至る県道11号線(やまなみハイウェイ)に面した、通称「正面登山口」からのルートがもっとも一般的で人気が高い。休日は登山口の駐車場が満車となることもしばしば。他に、湯布院町内からはじまる標高差約1100mの西登山道(合野越から正面登山道に合流)や、山頂直下が急斜面で、岩場や鎖場が連続する東登山道などがある。
日向岳は、由布岳の山腹に噴き出た寄生火山のひとつ。山名の由来については下記を参照。

由布岳にまつわる言い伝え

由布岳と祖母山は共に男性の山で、鶴見岳は女性の山である。この三岳は、昔はくっつき合って同じ場所にいたという。
あるとき、由布岳と祖母山が同時に鶴見岳に恋してしまった。互いに譲らぬ鞘当てに、地震山崩れが続き、土地は荒れた。
やがて鶴見岳は由布岳と夫婦の契りをなし、熱いお湯を噴出させた。恋に破れた祖母山は、屈辱の姿を由布岳や鶴見岳に見られるのが嫌で、こんもり繁った樹木を身に纏い、遠く県境にまで退いた。その時こぼしていった涙が溜まってできたのが、今の志高湖だという。
由布岳 鶴見岳祖母山
同じ頃、由布岳に背比べを申し込んできた山があった。日向国の「高山」という山で、日頃から背の高さを自慢していたところ、豊後に由布岳という高い山があると聞き、はるばるやって来たのである。しかし、並んでみれば自分の方が遙かに低いので、高山は腰を抜かして動けなくなった。
腰を抜かしたから「腰抜山」、また日向から来たので「日向岳」ともいう。

またある時、この地を訪れた西行法師(1118〜1190)が由布岳を称え、「豊国の由布の高嶺は富士に似て・・・」と詠みはじめると、「富士に似て」いると言われたことに由布岳が腹を立て、噴火を始めた。「駿河なる富士の高嶺は由布に似て・・・」と詠み直したら噴火が止んだという。

早朝に場所を取らないとすぐ満車になってしまう正面登山口だが、幸いなことに1台分の駐車スペースが残っていた。交通量の多いやまなみハイウェイを渡り、緩やかな上り坂の草原を歩く。

(右)由布・鶴見の夫婦、腰が立たなくなった日向岳、大らかな民話の世界が今も広がる。

草原を過ぎ、樹林帯に入るとすぐに道は二手に分かれる。日向岳・猪ノ瀬戸(東登山口のある地名)方面に向かい、標識に従いながら意外と上りのきつい道を歩き、日向岳山頂へ。
(左)山頂標識には「展望所」とあるが、周囲は木々に覆われ展望はきかない。樹間越しに由布岳のシルエットが微かに浮かぶ。

日向岳山頂を下ると、すぐに由布岳東登山道に合流。最初から急坂の道は進むにつれてさらに傾斜を強めてゆく。

ロープの架けられた岩場を上りきり、これで山頂も間近かと思ったが・・・
樹林帯を抜けてもなお、遥か見上げる位置にそびえる岩稜。山頂までさらに急登が続く。足のすくむような鎖場が連続し、山頂旧火口壁まで息つく暇もない。

登っている間はとにかく緊張しっ放しだったが、今考えると、単調な正面登山道より変化に富んで面白いコース。決して初心者向けではないが、おすすめである。下りに使うのは避けた方が良さそうだが。

やっと辿り着いた東峰山頂。周囲にガスがかかり眺望は得られなかったが、登頂の満足感は大きかった。
昼食後、東峰・西峰の鞍部「マタエ」に下り、一等三角点のある西峰山頂を目指すことにした。

東登山道を上りきった旧火口壁からの眺め。山頂部は下から見上げるより遥かに大きい。
東西両ピークを通って周囲一周する「お鉢廻り」コースの所要時間は約1時間。
正面登山道が東西二つの道に分岐するマタエ。
東峰もかなり急峻な岩峰だが、西峰の険しさはさらにその上。マタエのすぐ側にある岩の上から垂れ下がる鎖、その先にまた鎖、その先にも鎖・・・
剱岳の縮小版みたいな「縦這い・横這い」を切り抜け、やっと西峰ピークに立つ。
マタエからここまで15分。今までの山行の中で最も密度の濃い15分間だった・・・かも?
山頂からはジグザグの正面登山道を下り、雲の下に降りる。

いつの間にかふもとには弱い雨が降り、草原をしっとり濡らしていた。