山名/標高 城(しろ)山/300m
登山日・天候 2004年3月19日(金)・晴
行程 錦帯橋(11:05)〜展望台登山口(11:20)〜展望台・山頂(11:45-12:15)〜護館神社(12:30)〜ロープウェイ頂上駅(12:45)〜岩国城(12:50)〜紅葉谷公園(13:20)〜錦帯橋駐車場(13:40)
山上に岩国城がそびえたち、山腹につけられたロープウェイが多くの観光客を運ぶ岩国市の展望台。別名「横山」。
周南市(鹿野)の弟見山・莇ヶ岳を水源とし、山口県東部を大きく蛇行しながら瀬戸内海に清流を注ぐ錦川。その下流域にある横山は、川の流れをねじ曲げるように南から北に大きくせり出していたため、三方を天然の外濠=錦川に囲まれた要害の地となっていた。
慶長八(1603)年、初代岩国藩主吉川広家はこの山の頂稜北端に城を築き(竣工は慶長十三年)横山城または岩国城と呼ばれたが、元和元(1615)年に出された一国一城令によって取り壊された。現在の岩国城は昭和37年に再建されたもので、周辺の地区名には今も横山の名が残る。
城郭からの眺望は良く、眼下の錦川に架かる錦帯橋から岩国市街、瀬戸内海(条件が良ければ四国まで)を一望できる。

架け替えが完了し、翌20日の渡り初めを待つばかりとなった錦帯橋。木材の色が真新しい第一・二橋は通行止めで、仮橋を通って迂回することとなる。
仮橋からは、この時期でなければ見られないアングルや、間近に眺められる橋の裏側など、かえって新鮮な眺めが楽しめる。
橋を渡り、左折して川の流れに沿ってしばらく歩くと、「展望台登山口」と書かれた小さな標識がある。ここから登山開始。
ちなみに橋の通行料金は、往復で220円。
登山道に入ると、いきなりの急坂と深い森に驚く。城山はほぼ全域が国有林で、長年にわたり人の手が加えられていないという。
岩国山と比べ常緑樹が多く森の中は薄暗い。きつい上り坂はすぐに緩やかになり、道もいったん樹林帯を抜ける。少し開けた場所から岩国山と錦帯橋を一望できた。
雑木林の中、道の脇に石仏が並べられた緩やかな上りがしばらく続く。
やがて道は深い森の中へ戻り、勾配も再びきつくなってくる。
森を抜け「展望台」に出るが、ここはまだ山頂ではない。少し奥に進むと、TVやラジオの中継アンテナ局が立ち並ぶ道端に四等三角点の標柱と、山頂を示す標識が見つかる。
ここからは南西に連なる山並みが眺められるが、道のそばまでフェンスが張り巡らされ、なんだか落ち着かない。すぐに展望台に引き返した。
展望台にはベンチが置かれ、東に岩国市街と瀬戸内海(安芸灘)の眺めが大きく広がる。ここで昼食にした。
展望台から岩国城へ縦走を開始。天守閣の建つあたりの標高は200mくらいなので、縦走路はほとんど下り一辺倒。
緑が深く気持ちの良い森を抜けると、護館神の鳥居の前に出る。周囲の空気がすっと引き締まった。
「護館神(ごかんじん)」の鳥居をくぐり、役行者の幟が並ぶ石段を上り、、巨石が積み上げられた護館神の前に出る。
ここは岩国城築城時の石切場跡であり、天明三(1783)年に天狗堂が建てられ、護館神が祀られるようになったという。当時、飢饉、地震、火災などが続き、藩政も乱れてきたので、お館を護り、城山を鎮めるために勧進されたものと伝えられる。(説明板による)

※岩国城は元和元(1615)年の一国一城令により取り壊されており、当時の吉川氏居館は城山のふもとにあった。

護館神の先は一部が舗装され、車も通れる幅広の遊歩道となる。
鳥居から10分ほどでロープウェイ山頂駅に到着。岩国城まではさらに徒歩5分とのことで、ついでに立ち寄ってみることにした。
岩国城天守閣は昭和37年に再建された際、城下からの眺めを考慮し、築城時よりも見やすい位置に移された。
ロープウェイは昭和38年に取り付けられたが、一般車両の通行が禁止されている舗装路を歩いて上り下りする人も多い。地元の人たちのウォーキングコースらしい。
舗装路を歩いて城下町に下る。河川敷の桜はつぼみがふくらみ、まもなく開花の様子。
錦帯橋の開通とあわせ、今年の花見シーズンは例年以上に賑わうだろう。