山名/標高 霧島(きりしま)山
 高千穂峰(たかちほのみね)/1574m
登山日・天候 2005年8月30日(火)・曇のち晴 
メンバー 斉藤(宗)、斉藤(滋)、田中(善)、加藤、伊藤、和崎
行程 高千穂河原駐車場(08:05)〜霧島神宮跡〜御鉢(08:55)〜山頂(09:40-10:10)〜(折り返し・途中で昼食)〜高千穂河原駐車場(12:25)

晴天(左)から一夜明けた高千穂河原は曇り空(右)で、山の上にはガスがかかっている。
天気予報によれば、午前中は曇/晴で、雨が降り出すのは午後からの模様。眺めは期待できないがとりあえず山頂を目指す。
霧島神宮跡地を横切り、石畳を上ってゆくと、登山道はやがて石がゴロゴロした斜面に変わる。
溶岩がそのまま冷えて固まったような赤茶けた地面。周囲の緑とのコントラストが鮮やか。
前日の韓国岳や新燃岳を月面に例えるなら、高千穂の地面はまるで火星である。草一本生えそうにない感じだが、丈の低い植物(名前は不明)が意外にたくさん自生し、白やピンクの花を咲かせていた。
上るにつれて斜面は急坂となる。
土質は脆く、強く踏み込むと靴が埋まりそのままずるずると滑ってしまうが、地面から突き出ている溶岩の塊はしっかりしており、上りも下りもこれを足掛かりにすれば楽に歩ける。
火口壁に出るころはガスがいちだんと濃くなり、道の左右が切れ落ちているというだけで周囲は全く見えない。緩やかな上りの後、少し下ってケルンの積まれた鞍部に出る。
鞍部からは山頂まで再び急坂となる。相変わらず周囲は全く見えず、道につけられた木の踏み段をたどりながらただ上って行くだけ。
しばらくすると霧の向こうにぼんやり、小高い塚のような盛り上がりと標識らしき影が浮かんできた。どうやら山頂に到着したようだ。
国旗掲揚台には「天孫瓊瓊芸尊降臨之霊峯」の文字。しめ縄と鳥居に守られた塚の上には三叉の「天の逆鉾」が突き刺さっている。一説によるとこの逆鉾は、奈良時代にはすでに山上にあったという。
山頂には小屋があり、かつては管理人常駐で営業していたが現在は休業中?入口の扉は固く閉ざされていた。
山頂にいる間に天気が回復してきた。先ほどまでは見えなかった、ミヤマキリシマ群落の中の道を下る。
火口壁まで来ると、登山者に混じって自衛隊が新入隊員訓練のため列を作って登ってくるところだった。

高千穂峰の巨大な噴火口「御鉢」。周囲をぐるりと回るルートもあるが、噴煙が勢いを増しているため現在は通行禁止。
遠目には「神の降臨した山」に相応しい秀麗な山容(富士山と同じコニーデ式火山)の高千穂峰だが、近くで見る姿は赤茶けた溶岩の大地に噴煙を上げる巨大な火口と、同じ神様でも「荒ぶる神」の居場所といった感じである。
時間は少し早いが、天気が良いので火口壁から周囲の山々を眺めながらの昼食とした。
天気の回復はさらに進み、高千穂の山頂はもちろん、昨日縦走した山々も(韓国岳の頂上部を除いて)はっきり見えるようになった。
なんとなく急ぎ足で下ってしまった中岳は、逆方向だとかなり登りがいのありそうなボリュームある山である。裾野を覆う樹海の広さも相当なもの。
昼食後、ザレ場の急斜面を下り、霧島神宮跡地を眺めてから駐車場に戻る。
計画していた霧島の登山コースはすべて回ってしまったので、翌日は阿蘇か九重に登ることとし、再びえびの高原を抜けて霧島を後にした。
午後、移動中ににわか雨。
この日は南阿蘇の地獄温泉清風荘に宿泊。