山名/標高 高山(こうやま)/533m
行者様(ぎょうじゃさま)/474m
登山日・天候 2006年6月10日(土)・曇ときどき晴
行程 黄帝社入口分岐(13:00)〜黄帝社(13:10)〜高山山頂(13:40-13:50)〜行者様分岐(14:00)〜行者堂(14:10)〜行者様山頂(14:15)〜黄帝社入口分岐(14:55)
高山は萩市須佐町(旧・阿武郡須佐町)の日本海に面した半島上にそびえる独立峰。山頂は東西2つのピークに分かれ、東の474mピークは「行者様」と呼ばれており、中腹にその名のとおり行者堂が建てられている。
高山の名の由来について、「防長地下上申」は、この山が黄帝(中国の神話伝説時代の帝王"五帝"の最初の帝。ユンケル黄帝液の語源)に占領されていることを憂えた弘法大師により、紀州の高野山と同じように開山され、高野山転じて高山となったと伝え、また「防長風土注進案」では、素戔嗚尊(スサノオノミコト)がこの山上に降臨したことから「神山」、のちに転じて高山となった(須佐の地名もこれに因む)と伝えている。
高山中腹には、その黄帝を祀った日本では珍しい黄帝社があり、言い伝えによれば、崇神天皇の頃(紀元前97年〜同30年)この山に黄帝の神霊が現れ船造りを人々に教えたという。黄帝社の前に鎮座する狛犬の台座には、船を象った石が置かれている。黄帝社の隣には寺があり旧名を瑞林寺といい、その後宝泉寺に変わったが現在は住む人がなく荒廃が進んでいる。
高山といえば山頂の磁石石、西の海辺に切り立つホルンフェルスといった特徴的な自然景観で知られているが、そのぶん車道が整備され、山頂近くまで車で上れるようになってしまったので登山の対象としてはあまり顧みられることのない山となっている。東麓の高良地区や黄帝社の裏手から古い登山道(高良地区の道は行者様への参道)が延びているが、利用者は少なくかなり荒れている。

隣の島根県からも、海辺にすっくとそびえ立つ山容がよく目につく。益田市津田町(鵜ノ鼻)からの眺め。

国道191号線から315号線へ、さらにホルンフェルスの看板を見て県道に入り、フィッシングパーク手前にある山頂入口の看板を右折して曲がりくねった坂道を数km上ると「須佐高山案内」の看板があり、黄帝社への道が分かれている。分岐手前に駐車帯あり。
ここで車を降り登山開始。
黄帝社までの道もいちおう舗装された車道だが、道幅が狭いうえに離合できる場所が限られており、むやみに乗り入れない方が賢明。分岐の看板には黄帝社まで400mとあったが、ずっと上り(次第に急坂となる)なので、最初からペースを上げているとすぐに息が切れてしまった。
舗装路を上りきると、森の中にひっそりと佇む黄帝社が現れる。
(左)船形の石の上に載った狛犬
黄帝社拝殿から右へ、今は無人で荒廃している宝泉寺の先にポンプ場があり、金網の手前左手に登山道入口がある。といっても地面は道が消えるほど草に覆われており、テープの巻かれた木がその奥に続いているのが見えていても、進むのに躊躇してしまう。
イヤな予感を抱きつつ雑木林に入る。
草をかき分けて最初に目につくテープの巻かれた木にはツタが絡まり、なんだかこの先すごいヤブ漕ぎになるぞと警告しているように思われたが、少し奥に進んでみると意外とはっきりした広い道が残っていた。
道は左に折れ、先ほどの宝泉寺の裏側を(木や竹が生い茂って建物はほとんど見えないが)通るようにして緩やかな上りとなる。このまま行けばまずまず快適だったのだが・・・
坂をいったん上りきり少し広い場所に出ると、道はまたヤブの中に逆戻り。目印のテープは右手の湿地帯の中へと続いているが目立った踏み跡はなく、木や竹の間をすり抜けながら先人の後を辿る。何となくマムシがいそうで気味が悪い。
登山道は湿地帯左手の斜面に移り、黒いパイプ(山頂展望台のトイレ用?)に沿って急坂を直登することになる。
上りの途中ではとぐろを巻くマムシに遭遇した(やっぱりいた!!)。
2匹目のマムシにおびえながら急坂を上り、広い尾根道に合流。ここから山頂まではほとんど直登の広く歩きやすい道となる。山頂広場に出る手前が少しヤブになっているので、歩きにくい場合はパイプに沿って右寄りに進むと広場手前のトイレ付近に出られるという話。今回はヤブを突き抜け広場の前に出た。出口には何の目印もない(トイレ前の道は未確認)。
残り数十mで一等三角点の山頂に到着。

山頂は一部を岩や灌木に遮られているが、ほぼ360度の展望が得られる。空気が霞んでいて遠望は今ひとつだった。
高山山頂に点在する巨岩は強い磁気を持つことから「高山の磁石石」として1936(昭和11)年に国の天然記念物に指定された。磁性を持つに至った原因については、山頂部を構成する火成岩の斑糲(はんれい)岩に磁鉄鉱成分が強いという説や、度重なる落雷により磁気を帯びたという説がある。
(右)山頂広場の一角には地理調査所(昭和20〜35年までの国土地理院の旧称)の天測点が設置されている。
山頂広場から少し下ると、とたんに目につきはじめるアンテナ群。山頂に立てられなかったのは磁石石(の磁気)を避けたからという説もある。真偽は不明だが、それがせめてもの救い。
道路は自動車が通れるほどの広さ(未舗装)だが、山頂付近は一般車立入禁止となっており、数百m下った場所に一般向けの広い駐車場がある。

南東の方角は山頂よりも駐車場の方が見通しがきく。十種ヶ峰や青野山の向こうには西中国山地らしき高い山脈が続いていた。
広い舗装路はカーブを繰り返しながら麓に下ってゆく。途中、右に大きくカーブする手前にある中国電力無線中継所の反対側に標識のない細い地道があるが、これが行者様への縦走路。両脇に草が生い茂っていて不安になるが、入ってみると踏み跡はしっかりしており、テープもあるので迷う心配はない(行者堂までは)。
縦走路は最初いきおい良く下り、鞍部(ここから高良地区への下り道が分岐している)から上りに転じてすぐに行者堂前に出る。
行者堂の先からはテープ伝いに斜面を直登し尾根を目指す。尾根に出るまでは木にテープがつけられており安心だが、尾根に出たとたんに目印が全くなくなり途方に暮れる。東の方へ、踏み跡らしきものを頼りに進んでいくと、大岩と木々に囲まれた少し高そうな場所に出る。たぶんこの辺が山頂だろうと、標識を探してみたら・・・
木の幹にくくりつけられた、字の消えた板が1枚。ここが山頂なのだろうと信じて来た道を折り返す。帰路、下山ポイントのテープを見逃すと森に迷い込んでしまうおそれがある。要注意!
舗装路に戻り、全く不安のない広い道をのんびり歩いて出発点に戻った。