山名/標高 神宮(しんぐう/じんぐう)山/483m
登山日・天候 2007年1月13日(土)・曇ときどき晴
行程 国道191号線(13:35)〜御山神社(14:00)〜登山口(14:05)〜手水舎(14:15)〜御山神社奥宮(14:40)〜(折り返し)〜国道191号線(15:30)
萩市から国道191号線を東へ進み、海に浮かぶかのような遠岳山の景色を見送り、海に面したJR宇田郷駅付近にさしかかると、右手の山々の中に時折頂上部の尖った山が見え隠れしはじめる。
これが神宮山で、国道からはその山容を(運転しながら)はっきり目にすることは難しいが、町道(旧街道)に入り棚田越しに見上げると標高以上に高く感じられ、その尖峰に目を惹きつけられる。
山麓の惣郷地区にある御山(おやま)神社は、和歌山県の熊野神社から分祀された「新宮」といわれ、これが山名の由来ともいわれる。山上には巨岩の窪みに建てられた御山神社の奥宮があり、参道を兼ねている登山道には階段(1478段)が設けられ登りやすい。
山頂はこの奥宮のさらに上になるが、道がヤブに覆われ展望もないため、ほとんどの登山者は奥宮を頂上として折り返している。
神宮山は砂鉄を産し、山中には鉄穴(かんな)溝の遺構も残されている。

才ヶ峠から国道191号線を益田・須佐方面へ。10kmくらい進むと山陰本線「宇田郷」駅が右手に現れ、さらに1kmほどで右(山側)に町道が分岐する。今回はこの分岐点がはっきり判らなかったので国道沿いの駐車帯からずっと歩くことにしたが、町道に入り登山口まで車を乗り入れても全く問題ない。
分岐は、須佐方面からは(右)画像の国道標識が目印。
町道は結構な上り坂で、車を置いてきたことを少し後悔した。1kmほどで御山神社に到着。町道から少し左(海側)に下り、鳥居をくぐって境内へ。辺鄙な場所(失礼!)にしては意外に大きな神社で、イチョウの巨木(すっかり落葉していたが)に大きな神楽殿、手水舎の奥には木製の馬(吉備津神社にもあった)。本殿も立派なもの。
伝によると、熊野神社から黄金の馬に乗ってきた神がここに鎮座しているのだという。
登山口(奥宮入口)は、境内から出て再び町道と合流した少し先にある。駐車場はないが、路肩に数台駐車可能。この日も1台のワゴンが停まっていた(先ほどの遠岳山でも出会ったグループだった)。
奥宮への道は参道でもあり、よく整備され歩きやすい。
あぜ道を抜け、振り返ると棚田の向こうに水平線が広がる。
棚田を過ぎると再び手水舎が現れる。ここからが神域ということだろうか。
手を清め注連縄をくぐると、奥宮まで続く1478段の階段がはじまる。百段ごとに標識の立てられたこの階段は、よくある神社の石段とは違い、登山道の斜面に等間隔でコンクリートブロックを並べていったもの。段差が低く、想像していたよりも楽に上ることができた。
(右)八百段目を過ぎたあたりで現れる「奥宮」の鳥居。この先次第に急坂になる。
階段は全般的に落ち葉に埋もれており、下山時は段差が見えにくく足を踏み外しやすい。奥宮に近づくにつれ急坂となるので、登頂後の下りはじめは特に注意を。
(左画像:奥宮が近い千四百段目あたりも階段のおかげで上りやすいが、実際はかなりの急斜面で、下山時は落差に驚かされる)
展望はあまりないが、八百段付近の鳥居の手前で、高山を間近に見ることができる。
1478段目、まだ上方に続く山の斜面からせり出した巨岩の窪みに立てられた御山神社・奥宮。
由緒書によると、治承年間(1180年代:平安末期)、筑紫の長者が乗る船が沖合で立ち往生し、神宮山の神に祈ったところ難を逃れたため、その礼として社殿を造営したと伝えられる。
(左)奥宮の祠の中。周りにはなぜかアブが多く、長居できなかった。
(右)祠の前からの眺め。遠岳山を含む日本海の一角が見えるだけで少し物足りない。神域なので切り開いたり、岩をよじ登ったり祠の上に道をつけるのも難しいだろう。