午前8時,朝日の差す採銅所駅の気温は,まだ1度前後。周囲の草地や稲の刈られた田んぼは霜に覆われ,竜ヶ鼻や三ノ岳も寒さで縮こまっているように見えた。 いつものように線路を渡って舗装路を上り,そのまま登山道に入る。7月の集中豪雨ではこの辺りも被害を受けたようだが,登山道には特に荒れたところもなくスムーズに通行できた。50分ほどで稜線に合流。樹林帯を出たとたん,身を切るような冷たい空気。足下の枯葉が真っ白に氷結し,踏むとパリパリ音を立てる。道の左右に伸びる草も真っ白。霜がとけだして服がぐっしょりとなる前に山頂へ向かった。 |
前日の26日,九州・山口には12月としては異例の黄砂が観測された。この日も遠くは霞んでおり,英彦山はもやの向こうにシルエットがぼんやり見える程度。古処山や三郡山地はまったく見えなかった。晴れた冬の日ならば,通常は驚くほど遠くの山まで見渡せるのだが・・・。 山頂から縦走路に戻り,分岐を左に折れて五徳越峠に下った。時間はまだ9時。福智山までの縦走往復も考えたが,眺めが期待できない状況では行く気になれなかった。 |
稜線上の分岐からはじまり,五徳越峠に下る道の分岐ごとに立つ方位板に書かれた「ロマンスが丘」。これは,牛斬山南西部に広がるカルスト台地に田川市がつけた愛称とのこと。展望のよい牛斬峠もこの丘のうちに含まれると思っていたが,標識を見る限りは五徳越峠分岐を見送り,尾根をさらに南下しないといけないようである。 草尾根から分かれた五徳越峠への下り道にはオフロードバイクが乗り入れ,タイヤが掘り起こした細い溝が縦に何本も走っていた。 |
五徳越峠から三ノ岳に取りつくと,登山道はすぐに広々とした防火帯に合流し,数百m先で二手に分かれる。 「岩登りコース」はかなり難度が高いと聞いていたが,ヤバくなったら引き返すつもりで,上ってみることにした。 少し進むと眼前に三ノ岳が大きくそそり立ち,やがて岩場の前に到着。立入禁止のロープが巻かれた巨岩と,そこに赤ペンキで描かれた矢印が危険な香りを放つ。 |
「岩登りコース」は右田ヶ岳天徳寺コースの上級版といったところで,その名に恥じない急峻な岩場であったが,足場がしっかりしており,ペンキの矢印を辿っていけば意外と楽に上ることができる。一部にロープも付けられているが,やや頼りないので補助的な使用にとどめたい。 山頂が近づくと岩の間に樹木が目立ちはじめ,手足をかける場所も木の根や細い幹が多くなり,少々心許ない。山頂に出てからは三角点までさらに岩場が続くが,目印がなくなるのでかえって足の置き場に悩むこともある。 | |
草地の山頂はあまり広くなく,展望も岩場に遮られているので,ファミリーコースを上ってきた場合も岩場に少し上ってみた方がよい。ここも黄砂の残りか遠望はきかなかったが,岩登りコースを征した満足感に浸りながら,ゆっくり眺めを楽しんだ。 昨年の暮れに登った障子ヶ岳,その前の年に登った飯岳山。いつの間にか,この辺りの山々も概ね見分けがつくようになった。 「登山マラソン」でなく登山を目的に山に入るようになって,今年でちょうど10年である。 |
牛斬山から竜ヶ鼻・平尾台にかけての眺め(北西〜北東)。黄砂がなければ,周防灘の向こうに山口県も見えただろう。 |
障子ヶ岳,飯岳山から二ノ岳にかけての眺め(東〜南)。英彦山,犬ヶ岳,国東半島ももやの中である。 |
下山路はファミリーコースを利用。急坂を下り樹林帯を抜けると,セメント会社専用の作業道に合流する。下山路はもちろん下りの方。上り気味の道は二ノ岳方面に続いているようだが,詳細は不明。 作業道をしばらく下り,ファミリーコースは再び樹林帯に入ることになるが,この分岐が非常に見つけにくい。往復で利用した場合は問題ないが,下りで初めて足を踏み入れた場合は,道を塞ぐ鉄柵とその手前の「三ノ岳」の標識が目印。道路の右端に目を凝らすと,小さな「五徳峠」の標柱が立っている。 |
小さな標柱から,岩登りコースとの分岐点まではわずかの距離。五徳越峠に出てからは,車道を伝って採銅所に下る。この道路は途中で崩壊しており復旧工事中。登山者のものとおぼしき車が,工事現場手前の空き地に数台駐まっていた。 坂を下り集落に入ると,かつて宇佐神宮などに奉納する神鏡を鋳造していたという清祀殿の前に出る。銅採掘の歴史は,文化財や地名となって後世に伝えられてきたが,セメント採掘により削られた一ノ岳は,この先どのような歴史を辿るだろうか。 |