山名/標高 男体山(なんたいさん)/2486m
登山日・天候 2011年8月3日(水)・曇
行程 中宮祠・登拝門(09:20)〜三合目・車道出合(09:40)〜四合目鳥居(10:00)〜八合目・瀧尾神社(10:55)〜山頂・奥宮(11:20-11:35)〜(折り返し)〜中宮祠・登拝門(13:20)

一〜三合目に広がるブナ林
男体山は日光市にある成層火山で,市街地からいろは坂を登ると,中禅寺湖の北岸にそびえ立つ円錐形の大きな山体が見る者を圧倒する。古くは「二荒山(ふたらさん)」とも呼ばれ,山そのものをご神体とする山岳信仰の対象として信仰をあつめてきた。毎年8月1日から1週間にわたり二荒山神社による登拝祭が催される。
最後の噴火は約7000年前と考えられている。山麓の中禅寺湖,戦場ヶ原,小田代原は,このときの噴火により河川が堰き止められるなどしてできたもので,流出口には日本三大瀑布として知られる華厳滝や竜頭滝などがある。
男体山の名は,東北側に連なる女峰山(にょほうざん:2483m)との対で付けられたものと考えられている。男体山と女峰山は,その間に大真名子山(2375m),小真名子山(2323m)という二つの「愛子(まなご)」を抱え,さらに男体山の北西側には太郎山(2368m)もそびえている。三瓶山の男・女・子・孫をスケールアップしたような火山一家を形成しているところが特徴的である。
初登頂の記録は,782(天応2)年に勝道上人によって成し遂げられたと,空海の著した『性霊集』に記述されている。この時期の登頂記録としては最も実証性があるものといわれる。
標高は,かつては2484mと言われており,栃木県民は男体山が栃木県の西の端にあることから,「にしっぱし=2484」と呼んで覚えていた。しかし再調査の結果,旧来の山頂から南西に約11.2mに位置する岩場の標高が2486mであることが判明し,こちらに一等三角点が移設された。山頂部は平坦な広場となっており,二荒山神社奥宮や二荒山大神の銅像が置かれている。
登山道は,南麓の二荒山神社または北麓の志津乗越を起点とする2コースがある。高低差の少ない志津乗越(標高1785m)が最短コースとなるが,登山口までの公共交通機関の便がない(タクシーも入らない)ため,マイカーでの利用が前提となる。二荒山神社中宮祠(標高1280m)からの登山道は奥宮への登拝ルートとなり,入山料が500円(登拝祭期間は1000円)必要。また,登山期間は5月5日から10月25日までに限られている。冬季登山は一般的でない。

二荒山神社のご神体山である男体山に登るにあたっては,登山口のある中宮祠で登拝料(入山料)を納めなければならない。通常は500円だが,登拝大祭が行われている8月1日から1週間は1000円となる。社務所で登拝料を納めると,引き替えに記念品をもらえた。
  • 登拝通行安全の御守(交通安全にもご利益あり?) この御守は普段ももらえるらしい。
  • 保冷バッグ
  • 宝物館(国宝の太刀や前田青邨の絵"山霊感応"は見応えあり),神橋の入場券
  • 両脇に狛犬が据えられた門をくぐり階段を上ると「一合目」の石碑と鳥居が現れる。ここから本格的な登山道となる。
    一合目から三合目までは,ブナの巨木が立ち並ぶ間をすり抜けながら,急坂をひたすら上る。登山口といっても標高はすでに1200mを超えており,西中国山地の山頂付近と変わらない植生である。曇り空で気温は低めだが,急な上りですぐに暑くなり,噴き出る汗をぬぐうために何度も立ち止まった。
    樹林帯を出て,車道(工事用道路)の脇に出たところが三合目となる。下山時に間違えてこの道路をそのまま下りて行かないように(全く離れた場所に下りる),登山道の合流地点には「下山道」の大きな看板が立っていた。
    ここから四合目までは緩やかな上りの舗装路を行く。山腹をジグザグに上るので距離は長くなるが,本コースの中で唯一と言っていい,楽に歩ける区間である。一部では眼下に視界が開け,中禅寺湖を見下ろすことができた。
    四合目の石鳥居から山道に戻り,山頂まで再び長くきついルートが続く。中宮の社務所でもらった登山案内図によると,一合目から四合目までの所要時間が1時間,四合目から山頂までは2時間となっている。四合目までだいたい40分で来たから,山頂まではおそらく80分くらいか・・・遠い。
    五合目を越えた頃から木漏れ日が明るくなってきた。森が開けて展望の良い場所に出ると,雲海の上に一面に広がる青空。ひたすら高度を稼ぐうちに,中禅寺湖の上空を覆っていた雲の上まで出てきたらしい。この様子だと眼下の展望は期待できないが,雲海に浮かぶ白根山や女峰山などが眺められそうだ!
    登山道は次第に岩が増えガレ場の急登となった。先行していた登山者が岩の間で立ち止まり,休憩しているのを横目に,早く絶景をみたい一心で必死によじ登った。このあたりを上り下りする際は,落石に注意しつつ,自分が石を落とさないよう細心の注意を。
    八合目,岩の間に佇む瀧尾神社の小さな祠を過ぎると,弥陀ヶ原と呼ばれる低木林帯に入る。勾配は若干緩やかになり,一部に階段もあるが比較的楽に歩ける。
    九合目を過ぎると周囲の景色は一変し,高千穂峰を彷彿とさせる赤茶けた砂礫と溶岩が転がる不毛の地となる。
    七合目あたりまで見えていた青空はすっかり消え,あたりは再びガスに覆われてしまった。滑りやすい斜面の先を眺めても,白いもやの中に浮かぶのは積み重なる岩と,その間を歩く小さな人影だけで,頂上がどうなっているのかさっぱり分からない。とにかく上へ進めばいいのだろうが,心配なので必死に先行者の後を追った。
    やがて霧の中に奥宮の影が浮かび上がり,山頂に到着したことが分かった。登山開始から約2時間。せっかくの急ぎ足も報われなかった。
    奥宮の左隣にある広場の真ん中に大きな二荒大神の銅像が立ち,その脇には360度の方位板が置かれていた。天気が良ければ,この神様は中禅寺湖を眺めていることが確認できた。
    奥宮の社務所では,1人500円で登拝の記録証を発行してくれる。天気は悪いが,せっかく来たので書いてもらうことにした。
    ちなみに,本当の山頂(一等三角点2486m)は,この奥宮からさらに数十mくらい志津乗越側に進んだ場所にあったようである。特に標識もなく,視界不良で全く気づかないまま下山してしまった。