山名/標高 臥牛山(がぎゅうざん)/478m
登山日・天候 2013年2月10日(日)・晴ときどき曇
行程 遊歩道入口(11:40)〜ふいご峠駐車場(12:00)〜松山城天守(12:15-12:50)〜(折り返し)〜遊歩道入口(13:20)
臥牛山は岡山県高梁市街地の北方にあり,遠望する山容が伏せた牛の姿に似ていることからこの名が付けられた。山頂の小松山をはじめ,大松山,天神の丸,前山の4峰からなり,小松山付近に備中松山城の天守などが現存している。
山腹には面積約200haの天然暖帯林が広がり,「森の巨人たち百選」に選ばれたアベマキの巨木(樹高30m・樹周4.7m)を含む230種を越える樹木と150種以上の野鳥が生息しているといわれる。国指定天然記念物に指定された野猿の生息地ともなっているが,城郭や遺跡の破損を防止するため,建造物の周囲に高圧電線の柵を巡らせるなどの進入防止対策を行っている。
松山城は1240(仁治元)年に備中有漢郷の地頭が大松山に築いた山城が起源とされ,その後戦国時代にかけて幾多の城主の変遷とともに小松山までの拡張と城塞化が進んだ。16世紀後半に一時毛利氏の所有となったが,関ヶ原の戦いの後は徳川幕府の手に渡り,城番が置かれることとなった。このとき天守までの道のりが険しく不便であったため,平時における城主の生活と政務の場所として,麓に「御根小屋」と呼ばれる屋敷が建てられた(現在の県立高梁高等学校敷地内)。
1873(明治6)年に公布された廃城令により御根小屋は取り壊された。山上の建物も放置され荒廃が進んでいたが,昭和初期に修復され,1950(昭和25)年には天守,二重櫓,三の平櫓東土塀が重要文化財に, 1956(昭和31)年には城跡が国史跡に指定された。その後1994(平成6)年から本丸及び周辺建造物の復元整備が行われた。
秋から早春にかけての早朝,条件が合えば雲海の上にそびえる姿が見られることから「天空の城」の異名を持つ。日本100名城の一つ。また,美濃岩村城(岐阜県),大和高取城(奈良県)と並ぶ「日本三大山城」に数えられている。

臥牛山登山,というか備中松山城への登城は,車で八合目の「ふいご峠」まで上り,そこから歩くのが一般的だが,麓から歩いて上る道もしっかり整備されている。御根小屋跡地の高梁高校から少し車道を上ったところに遊歩道入口の看板があり,ここから左の橋を渡って山道に入る。
道は良く踏まれており,途中には臥牛山の植生や野猿についての説明板などが設置され,休憩小屋も設置されている。
少し急な上りを20分ほどで「鞴(ふいご)峠駐車場」の前に出る。ここからは一般観光客に混じり,約700mの概ね舗装された上り坂をゆく。
途中にある石垣は「中太鼓丸櫓跡」。その昔ここに太鼓が置かれ,天守と御根小屋の連絡手段として使用されていた。
大手門跡まで来ると,周辺には重文級の建造物が目白押し。まず目を引くのは岩盤の上に高く築かれた石垣群。圧巻の一語である。
土塀を巡らせた三の丸跡,厩曲(うまやぐるわ=荷馬を繋いだ場所),御膳棚(かつての厨房,今はトイレ)を過ぎ,二の丸跡の広場に出る。ここはテーブルやベンチが置かれ,休憩に最適。奥にそびえる天守に入るには入場料(大人300円)が必要。
現存する天守は,1683(天和3)年に水谷勝宗により大修復されたものといわれる。
2階建ての1階には,調理や暖を取るための長囲炉裏が備え付けられるとともに,一段高い場所には装束の間が設けられた。籠城戦を想定した造りで,万一の時はここが城主自害の場とされた。2階には9柱の神々を祀った御社壇と呼ばれる部屋がある。(右)画像は隣接する二重櫓。中には入れない。