山名/標高 本明山(ほんみょうざん)/417m
登山日・天候 2015年6月6日(土)・晴
行程 本明自治会館(12:40)〜本明城址案内板(12:50)〜登山口(12:55)〜鳥居(13:20)〜不動さんの湧水(13:30)〜山頂(13:40-13:50)〜(折り返し)〜本明自治会館(14:35)
本明山は江津市有福温泉町と浜田市(旧金城町)の境界にあり,山頂周辺には13〜16世紀にこの地を治めていた福屋氏の居城「本明(もとあけ)城」の遺構が残されている。
本明城は1234(天福2)年に福屋氏初代兼広(七尾城主益田兼高の三男)によって築かれたと伝えられる。戦国時代の十二代隆兼は,毛利氏に従わず尼子氏について毛利方の福光城を攻めたが,元就の次男吉川元春らの反撃に遭い,1561(永禄4)年に本明城を明け渡し浜田から海路で出雲へ逃亡した。
現在,山頂の主郭には金比羅神社が鎮座し,北東の尾根先には福屋氏の普段の居所「福田城」があったとされる。最盛期は東西方向におよそ900mの規模で曲輪が配されていたという。別名「乙明(おとあけ)城」。
登山道は,北麓の本明地区から登るコース,北東の東光寺から登る通称「福田コース」などがある。

浜田・江津方面から有福温泉に向かい,温泉街入口を素通りしてそのまま県道50号線を進む。上り勾配の道を1.5kmほどで「本明山登山口」「本明自治会館」の看板を見て右の小道に入る。
100mほどで本明自治会館。建物の向かい側に駐車スペースがあるので,ここに車を置き登山口へ向かう。200mほど進むと標示板が立つ小さな三叉路に出るので,右折してさらに細い道(舗装路)を「原爆療養所」方面に進む。
200〜300m進むと,左手に本明山の案内板が現れる。現在地から山頂までは片道1935m(案内板による。以下同じ)。案内に従い,左折して田んぼの間の道を登山口に向かう。
1軒の民家の前を過ぎ,2軒目の民家に突き当たるとそこが登山口。手製の案内板が立つ駐車場?の脇から坂を上り,イノシシ除けの柵を開けて登山道に入る。
道幅が広く歩きやすい道は,もとの山城由来だろうか。勾配はややきつめだが,快適に上っていける。
「福田コース」との合流点のすぐ先に最初の鳥居がある。この辺りから道幅が若干狭まり,登山道らしくなってくる。
鳥居から330m進むと「不動さんの水」と呼ばれる水場に出る。以前はここに木造のお堂があり不動明王の石像が祀られていたが,現在は建物も石像も残っていない。
2013年の豪雨で流されてしまったのかも。ちょうどお堂の上あたりの道も路肩が崩れ,ロープが張られていた。
2つめの鳥居から山頂までは85mの石段。周囲には杉の巨木が立ち並び,厳かな空気が漂う。
石段から上を見上げると,樹林のトンネルの先に青空が広がり,まるで空へ続く階段のような趣である。
数日前に梅雨入りしたばかりのこの日は,前日の雨が上がりすっきりした晴天。空気も乾燥しており,梅雨時とは思えない爽やかな風が吹き抜けていった。


三等三角点の置かれた山頂からは南北に視界が開ける。北に日本海の長い水平線。大江高山の向こうに島根半島の影もぼんやり浮かぶ。
南に遠望する山々は,島根・広島県境の大佐山,雲月山,中野冠山,天狗石山などではないかと思われるが,判然としない。
山頂の西には金比羅宮が祀られている。社殿の裏は広場になっており,史跡・本明城跡の説明板が立っているが,この城の歴史と城主の福屋氏についてはあまり説明がなく,物足りない感じがした。