山名/標高 日晩山(ひぐらしやま)/744m
登山日・天候 2016年4月16日(土)・晴ときどき曇
行程 真砂地区振興センター(12:30)〜八幡宮(12:35)〜猿田彦大神(12:50)〜斗舛石の清水(13:00)〜日晩峠(13:05)〜第二展望台(13:35-13:40)〜第一展望台・山頂(13:50-13:55)〜蛇滝観音堂分岐(14:30)〜真砂地区振興センター(14:45)
日晩山は旧益田市と旧匹見町の境界にあり,合併前は益田市の最高峰であった。
かつては北から南西にかけて弧を描くように延びる尾根をまたいで西麓の波田町(真砂)と南麓の匹見町澄川に街道が通じ,明治の中頃まで安芸〜匹見〜益田の主要道として多くの人が行き交っていた。当時は真砂と匹見の間の最高地点を「日晩峠」または「日晩山」と呼び,現在の日晩山山頂部は「比良(ひら)山」あるいは「平山」と呼んでいた。日晩峠は展望の良い名所として知られ,今も残されている明治期に建てられた4つの歌碑が往時をしのばせる。
「日晩」の名は,平安時代に菅原道真が京の都から九州太宰府に落ち延びる際,備後から匹見を経て益田の海に向かう道を選び,この峠にさしかかったところで日が暮れはじめ,真砂の里を抜け次の峠にたどり着いたときに夜が明けたという言い伝えに由来する。
登山道は,波田町から日晩峠を経て山頂に向かうコースが一般的。日晩峠から山頂までは比較的最近に開かれた道だが,よく踏まれて歩きやすく,山頂を含めいくつかの好展望地があり退屈しない。山と渓谷社発行の分県登山ガイドでは,新版・旧版ともにこの日晩峠コースを往復路として紹介しているが,現在は山頂と西の蛇滝の間にも登山道が通じており,周回コースとすることができる。

国道191号線を益田市内から美都方面へ向かい途中の県道54号線を右折,「ひだまりパークみと」ゴルフパーク前を通り10分ほどで真砂地区に入る。ちょうど建物の前に2つの登山コースの案内が立っている地域振興センターに数台分の駐車スペースがあるので利用させてもらった。
上りは「日晩峠コース」を歩くことにし,標示に従って進んでいくとすぐに日晩山の大きな案内板の前に出る。その先の標示に従って民家の間を抜けると,鳥居が2つ並んだ神社の前に出る。向かって右が八幡宮,左が天満宮。天満宮は,「日晩」の名の由来となった菅原道真伝説に由来するものだろう。どちらが主・従というのでもなく,二社それぞれに鳥居と狛犬があり,石段と社殿を並べているのは珍しい光景に思える。
登山道はこの神社前から隣の民家の方へ進んでいく。特に標示もないので,神社の前から見ると民家に出入りする私道のように見える。
民家を過ぎると竹林の中の上りとなる。よく踏まれた広い道の真ん中に,猪が食べ残したタケノコが転がっていた。
麓から日晩峠までは約1.3kmで,100mおきに距離表示のポールが立てられている。小学校や保育園への分岐標識もあったが,道の上は草が伸び放題で,久しく人の歩いた形跡はない。以前は遠足等で利用されていたのだろうか。
日晩峠を越えるこの道は,明治32年に秋冷道(現在の県道54号線)が開通するまでは,益田と広島を結ぶ唯一の幹線道路として人や牛馬の往来も多く,荷車が通れるだけの道幅が確保されていた。峠道の途中にある「猿田彦大神」は,説明板には「日晩山の五合目」とあるが,これは当時「日晩山」と呼ばれていた日晩峠を指していると思われる。この地点の標高は山頂の半分より少し低いくらいだが,起点からの距離は山頂までの概ね1/4程度。
その先10分ほどで「斗舛石の清水」。かつては豊富に水が湧き,旅人たちののどを潤したというが,現在は今にも途切れそうな細い流れとなっている。
この清水から5分足らずで,明治期に建てられた4つの歌塚(石碑)が残る日晩峠に出る。匹見町澄川に下る道はヤブ化しており通行できない。
日晩峠の一角は展望所として東屋が建てられ,北東側の展望が良い。足下に真砂の里,その先に比礼振山,その背後に広がる海。
麓から見上げた稜線の印象から,高低差の少ないなだらかな縦走路を期待していたが,日晩峠から先もしばらく上りが続く。
山頂までの道は近年になって開かれたもので,古いガイドブックには「ヤブ尾根」と書かれていることもあるが,現在は踏み跡もはっきりしており迷う心配はない。日晩峠の「2300m」から100mおきに山頂までの残り距離が表示され,だいたい「1300m」のあたりから緩やかなアップダウンとなる。
山頂手前のピーク(山頂まで436m)には「第二展望台」の看板が立ち,東側の展望が開け,西中国山地が一望できる。2011年に発行された改訂版「島根県の山」には記載されていないが,ネット上の登山記録を見ると,2009年頃にはすでに切り開かれていたようである。

第二展望台からの眺め。所々で木に遮られているが,西中国山地が広範囲に一望できる。
第二展望台と山頂(第一展望台)の眺めは大差ないようにも思えるが,大江高山(左)はここからしか見えない。
縦走路の途中でも木の間からちらちら見えていたおなじみの懸崖ピーク(中)。その奥は安蔵寺山だろうか?
第二展望台から少し下り,距離は短いがロープの付けられた急坂を上り返して山頂に到着。最近建てられた2階建ての展望台は,残念ながら西中国山地方面の展望の向上にはまったく貢献していないが,益田方面に目をやると高山と石見空港の滑走路を(ここからだけ)眺めることができる。
(左)山頂三角点のそばにある全方位の「見える山」案内図には,それぞれの山までの直線距離も書かれている。春日山以上に西中国山地が広く見渡せる反面,あちらに比べ距離が離れているので山々の同定が難しい・・・と思ったら,案内板の下には双眼鏡まで入っていた。至れり尽くせり。
(中)第二展望台からは見えない青野山と十種ヶ峰。その間にぼんやり見えるのは大蔵ヶ岳だろうか。
下山路は山頂から沢筋を西へ,蛇滝に下る道へ入る。日晩峠よりも登山道らしい細い道で,踏み跡はしっかりついている。
この道も新・旧ガイドブックには載っていないが,旧ガイドブック(1996年発行・2000年改訂)には北尾根を下り,旧美都町の大神楽地区へ下るヤブ漕ぎルートもあると紹介されている。下山口手前には,その大神楽ルートの名残かと思われる「第三展望台」の看板が残っていたが,示す踏み跡は笹に覆われ,展望も期待できそうにないのでパス。なお,蛇滝方面に下りはじめたところで木の間越しの遠景に目を凝らすと,三隅の火力発電所の煙突が見える。
下りの山道が終わりにさしかかると,蛇滝への分岐が現れる。その昔,大水で滝壺ごと流されてしまった大蛇を憐れみ村人が建てたという観音堂はここから50mとのことだが,道が荒れていたので参拝は諦めた。なお,この分岐から10mほどの場所には,近年建てられたと思われる石造りの供養塔もある。
分岐から5分ほどで東屋とトイレ(半壊)の置かれた広場に出る。「蛇滝自然観察路」の案内板によると,平成11(1999)〜13(2001)年にかけて遊歩道を整備したとのこと。山頂までの道も書かれているので,少なくとも新ガイドブックが発行された頃にはこのコースも開通していたはずなのだが。
広場から先は舗装路となり,特に標識はないが道なりに下っていくと10分ほどで地域振興センター前に出られる。