山名/標高 |
立山(たてやま) 雄山(おやま)/2992m ※雄山神社(山頂本社)は3003m |
登山日・天候 | 2003年9月7日(日)・晴 |
行程 | 雷鳥荘(05:30)〜室堂バスターミナル(05:55)〜一ノ越(06:30)〜雄山山頂本社(07:05)〜(折り返し)〜室堂バスターミナル(08:35) |
立山は、富士山・白山と並ぶ日本三霊山のひとつ。開山の歴史は古く、大宝元(701)年、越中国司・佐伯宿禰有若の息子有頼が、白鷹と黒熊に導かれて現在の室堂平にある玉殿岩窟に入り、立山両権現(伊邪那岐神=阿弥陀如来、天手力雄神=不動明王。現在も雄山神社の祭神)の霊示を受けて出家、慈興と号して生涯にわたり立山開山と布教に尽力したと伝えられる。 上古の昔は劔岳と一体の山とみなされ、劔山頂部の太刀を連ねたような鋭い稜線から「タチヤマ」の呼び名が与えられ、やがてタテヤマ=立山になったものと推測されている。ただし今も「立山」は固有の山名ではなく、一等三角点(2991.6m)のある雄山、連峰中最高峰の大汝山(3015m)、富士ノ折立(2999m)、真砂岳(2860m)、別山(2874m)、浄土山(2831m)などの総称。また、このうち浄土山・雄山・別山を特に「立山三山」とも呼ぶ。 立山の雪を仰ぎて声放つ此の清きもの地の上にあり 与謝野鉄幹 立山の空にそびゆる雄々しさにならへとぞ思ふ御代の姿も 昭和天皇
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前日の「立山登山マラニック」は悪天候のため室堂で中止となってしまったが、翌朝は快晴で絶好の登山日和。9:00に出発するバスに間に合わせるため、5:30に宿を出発し、雄山山頂に向かう。
(左)雷鳥荘とみくりが池の間にある、赤茶けた湿原「血の池」。立山信仰では立山や室堂周辺は地獄に見立てられていた。 |
初夏まで厚い雪に閉ざされていた地面から、岩と氷を割いて噴気が立ち上る地獄と、ライチョウが遊び、多くの高山植物が咲き乱れる雲上の楽園=極楽浄土の姿を併せ持つ立山。「お花畑」のピークは7〜8月だが、9月上旬にもまだたくさんの花や植物が見られる。
(左)チングルマ。花弁が落ち、花柱が伸びて毛状になっている。 |
室堂から一の越までの登山道はコンクリートで固められ、普通の運動靴でも充分歩ける遊歩道だが、途中には真夏を過ぎてなお残雪が残り、道の一部を覆っている。アイゼンは不要だが、踏み跡の上を慎重に辿るか、少し迂回してガレ場を歩かないといけない。 この辺りにはまだ朝日が射さず、残雪の冷気も混じって結構寒い。 (左)残雪の上にそびえ立つのは「立山三山」のひとつ、浄土山。 | |
室堂バスターミナルから30分ほどで立山の鞍部、一の越(2705m)に到着。 冷たく澄み切った空気。雲海に浮かぶ島々は、2000mをゆうに越える北アルプスの高峰たち。すぐにそれと判る槍・穂高、笠ヶ岳。いわゆる「表銀座」の彼方に浮かぶ鋸のような稜線は、八ヶ岳だろうか。 もっと遠くまで見たい。山頂へと気持ちがはやる。 |
一の越から山頂への道は、ガレ場が続く急坂。 踏み跡とペンキ、前を歩く人の動きを頼りに岩を乗り越え、高度を稼ぐ。浮き石も多く、マラソンシューズではちょっと歩きにくい。「登山マラニック」参加者の中には、室堂から登山靴に履きかえてゴールを目指す人もいるという。 |
朝日が眩しい山頂に1日遅れのゴール。雄山山頂本社は、ひときわ高い岩の上に鎮座している。 |
(左)神社の前にある一等三角点。北アルプスから日本海までを一望する絶好の展望台。条件が良ければ富士山も見える。 (右)鳥居の足下に咲くチシマギキョウ。 | |
雄山山頂本社に上りお祓いを受けるには参拝料が必要だが、マラニック参加料は「参拝料込み」らしく、社務所でゼッケン番号と名前を知らせると、山頂登拝のお札とお祓いをいただける。 社殿前は風がやや強く冷たかったが、ここで聞く祝詞は何とも言えずおごそかな気持ちにさせられるものだった。しかし、マラニックの直後でこの風を受けてじっと座っていたら、風邪ひきそう・・・ 昔、越中の男子は15歳になると立山登拝が課され、達成できた者だけが一人前として認められたという。 |
深田久弥「日本百名山〜立山」より |
上画像を拡大。何日かかってもいいから向こうまで歩いていって、あの稜線を全部歩いて見たいという気になる・・・雨が降らなければ。 |
(左)山頂より、室堂平全景。 (右)現存する日本最古の山小屋、室堂。現在残されているのは享保11(1726)年に再建されたものと伝えられている。国指定の重要文化財。中に入るには拝観料(300円)が必要。 |