くじゅうでもいわゆる山焼き=野焼きが行われることを知ったのが数日前。某HPの情報では、週末の4/5に坊がつるで野焼きが実施されるとのこと。天気がいいのでどこかに登りに行こうと思っていたが、情報を得たのも何かの縁と、金曜日の夜からくじゅうに向けて出発した。 高速PAで仮眠し、土曜日の早朝に長者原へ到着。凍結や積雪はないが気温は0度に近く、外に出ると冷たい空気に身が縮む。 野焼きを間近で見るか、山の上から俯瞰するか迷ったが、坊がつるの見晴らしが良さそうな白口岳に登ることにした。7:15に長者原を出発し、スガモリ越へ続く登山道に入った。実はこの道を上りに使うのは、かなり久しぶりである。記憶が正しければ10年ぶり? |
雪はほとんど解けたがまだ寒く、花はなく、緑も乏しいこの時期のくじゅうは、2ヶ月後の喧噪に向け準備中といったところ。登山者は非常に少なかった。野焼きのことはあまり知られていないのか、知っていても寒いから行かないのか。 ひっそりとした登山道に、びっしり生えた霜柱を砕く自分の足音だけが大きかった。 |
1時間10分ほどでスガモリ越に到着。ここからは北千里浜経由で久住山方面へ。陽が差してきて空は明るいが、相変わらず気温は低い。北千里浜を流れる水は表面が凍っていた。 歩くと、地面の下から霜柱が小石を押し上げているのだろうか、ふわふわと妙な感触だった。 | |
久住分かれから、久住山へ。上りの途中で下山してくる2〜3人とすれ違ったが、山頂に着いてみるとなんと誰もいない。 平日でも人の途絶えたことのないような久住山で、まさか週末に山頂を独り占めできるとは思わなかった。 |
久住山からの眺め。滅多にない貸し切り状態をしばらく楽しみたかったが、ここからは坊がつるはまったく見えない。 風も強く、いちだんと寒くなったので、長居はせずに稲星山へと向かった。阿蘇、祖母山は霞んでよく見えなかった。 |
稲星山の山頂も無人。遠望する中岳山頂には、人影が動いているのが見える。事前に調べた個人のHPなどの情報では、野焼きの実施時間は10時頃の模様(公式な日時の案内は見つからなかった)。白口岳に急いだ。 早朝は青空が広がっていたが、いつの間にか一面の曇り空となっていた。すぐに雨が降り出しそうな雰囲気ではないが、日曜日から崩れるという天気の変化が早まったのかもしれない(この予報は結局大ハズレで、日曜日も日中は上天気だった)。 |
白口岳山頂には、三脚を立てて野焼きを撮影しようと構えている人がもう一人いるだけ。眼下には、平治・大船山と中岳・三俣山に周りを囲まれた坊がつるが小さく見える。枯草色の中に、赤い火がポツンと立ち上っていた。野焼きははじまったばかりだった。
火は最初一か所しか見えなかったが、やがて枯れ野原の周囲のあちこちから炎と煙が上がってきた。しかし上から見ていると野焼きはなかなか進まないように感じ、カメラを向けてもレンズに映る炎は小さく、あまり絵にならない。やはり近くで見るべきだったと思っていたら、約30分後、炎が一気に燃え広がり、見る見るうちに坊がつるが黒く変わっていった。 |
道を残して真っ黒となった坊がつるから煙が消え、炎も見えなくなった。鉾立峠から登ってきた人があったので、入れ替わりに峠に下り、焼け跡に向かった。 鉾立峠への下り道も早朝は霜柱が立っていたのだろうが、解けてしまった後はぬかるんで非常に滑りやすかった。 一面の焼け野原となった坊がつるは、近づくとまだ少し焦げ臭く、焼け残った枯草の中で小さな炎がゆらめいていた。 |
色彩を失った坊がつるとくじゅうの山々。ひと月も経てば新緑に覆われることだろう。 |
坊がつるからは、雨ヶ池越経由で長者原への帰路についた。 雨ヶ池越から下る途中、指山観察路を回ってみることにした。単なる気まぐれだったが、この観察路経由で森を抜けると、ちょうど目の前のタデ原湿原が野焼きをはじめるところだった。間近で見ると、炎が4〜5mくらいまで立ち上り凄い迫力。 なお、作業の方々が背負っているのは、火炎放射器ではなく放水器。 |
湿原の木道は、20分くらいで通行可能になった。野焼きの火は崩平山の方=北へどんどん燃え進む。 帰り着いた長者原の駐車場には、風に運ばれた灰が点々と落ちていた。 |