山名/標高 高千穂野(たかじょうや)/1101m
大矢野(おおやの)岳/1236m
大矢(おおや)岳/1220m
冠(かんむり)ヶ岳/1154m
俵(たわら)山/1095m
登山日・天候 2008年6月8日(土)・曇
行程 高森峠トンネル前駐車場(07:15)〜中坂峠(08:25)〜崩土峠(09:05)〜長谷峠(09:40)〜清水峠(10:15)〜高千穂野(11:00)〜天神峠(11:15)〜多津山峠(11:30)〜駒返峠(12:00)〜大矢野岳(13:25)〜大矢岳(13:45)〜地蔵峠(14:00)〜冠ヶ岳鉄塔コース〜冠ヶ岳(15:45)〜護王峠(17:10)〜俵山山頂分岐(17:45)〜俵山峠駐車場(18:35)

下山口となる俵山峠の駐車場に車を置き、国道325号線の高森峠トンネルまで移動。高森町側のトンネル入口の脇に駐車スペースとトイレ、野口雨情の歌碑が建っている。ここから長大な稜線歩きに出発。
まずはつづら折りの旧道(舗装路)を伝い、縦走路との合流点に出る。
この縦走路は九州自然歩道で標識も立てられているが、舗装路からの分岐点は放牧のため鉄柵が渡され、道もはっきりしないので、最初は舗装された農道を歩いていくことにした。牛が寝そべる草原の向こうに祖母、傾、大崩の山々が連なる。空は一面雲に覆われているが、雨が降りそうな気配はない。
しばらく進むと再び道路上に鉄柵。舗装路はここで途切れ、柵の向こうは放牧地。適当に歩き、標識らしきものが見える丘の上に上ると・・・自然歩道の入口があった。ここから本格的に縦走がはじまる。
最初のうちは縦走路も草原状で展望が良い。あまり遠望はきかないが、右手に阿蘇五岳、左手に祖母、傾から中央山地にかけての稜線、正面にはこれから越えてゆく稜線上のピークが幾重にも連なり、その先に本日のゴール地点、俵山が霞む。
中坂峠を過ぎると低木の樹林帯が現れはじめ、展望は途切れがちになる。
NTTの大きなアンテナ塔が目立つ清水峠周辺では再び広々とした草原になるが、ここも縦走路がはっきりしないため、峠からはアンテナまで続く舗装路を歩くことにした。実際、アンテナまで来ると標識が立っていたので道は間違えていなかったらしい。
アンテナを過ぎ、草原を横切って再び樹林帯に入る。ここまでの低木林に比べ幹の丈が高く、うっそうとして深い森である。
縦走路は次第に上り勾配となり、いきなり直登の階段となる。が、この階段、木の枠の中にあるべき土がえぐれてしまっており、実態は「はしご上り」に近い。傾斜がきつい上にバランスが取りにくく、道幅いっぱいに階段(はしご)を掛けているため脇道を歩くこともできない。かなり辛い上りだった。ここまであまり汗をかかずにいたが、この短い上りで一気に噴き出した。
はしごを上りきった場所が、本日最初(?)のピーク「高千穂野」。巨木に囲まれ全く展望はない。少し休んで先に進むと、今度は下りのはしご。このピークはどちらから上っても、はしごに苦しめられるようだ。修繕を求む。
九州自然歩道は駒返峠の手前100mで稜線を外れ、南麓山都町の通潤橋へと続いてゆく。
駒返峠は、阿蘇神社の宮司が矢部に館を構えていた中世の頃、矢部と南郷谷を結ぶ重要な交通路であった。しかし急峻な峠道のため、馬(駒)は越えることができず引き返したという。これにちなんで駒返峠と名付けたとされる。
駒返峠から次の地蔵峠までは約7km。展望はほとんどなく、小刻みにアップダウンが続く。地図をざっと見たところ、このあたりが縦走路の中間点となる。しかし「あと半分」と安心できるような残り距離ではない。今のペースだと、下山時間は17時くらいか。足はすでに相当の疲れがたまっている。
周囲の森はいちだんと深くなり、ミズナラやブナの木も見られるようになった。枝振りの見事な巨木も多かったが、下山時間を遅らせたくないので、ゆっくり眺めたり写真を撮ったりはできなかった。
森の中を何度も上り下りして、やっとたどり着いた南阿蘇外輪山の最高地点「大矢野岳」。標識があるだけで展望はない。
さらに進むと視界が開け、360度の展望が開ける大矢岳山頂に出る。
大矢岳の先にある山の中腹には車道がうねり、オートバイの爆音が稜線上まで響いてくる。下ってみると4体の地蔵尊が祀られた石の祠が建つ、まさに「地蔵峠」。ここは古くから好展望地として知られ、近年開通した車道からも峠に上って来られるように階段がつけられている。

駒返峠から先は標識類が乏しくなっていたが、ここまでは概ね一本道だったので迷う心配はなかった。しかし、地蔵峠では道が3方向に分岐し、しかも今回通るべき稜線上のルートには何の目印もなかったため、「十文字峠」と書かれた方のしっかりとした緩い下り道に入ってゆくことにした。「十文字峠」の名は手元の地図にはなかったが、標示がはっきりしているので間違いはないだろうと・・・これが間違いの元だった。
改めて(右)画像を見ると、十文字峠は明らかに稜線を外れ左(南側)に逸れてゆくルートである。かなり疲れていて、残り時間も気になっていたので、よく検証もせずにこの道を選んでしまった。

十文字峠方面に20分ほど進み「何か変だな」と思いはじめた頃は時すでに遅し。登山道の左手に見えなければいけない冠ヶ岳が真正面にそびえている。完全に縦走路から外れてしまった。
幸い(?)冠ヶ岳に向けて登山道が続いており、道端の小さな標識には「冠ヶ岳(鉄塔コース)」とある。高圧線の鉄塔が冠ヶ岳方面にまっすぐ立ち並んでおり、これに沿って山頂を目指すコースなのだろう。冠ヶ岳山頂に出れば、縦走路に帰れるはずと、この鉄塔コースにそのまま踏み込んでいった。「地蔵峠まで引き返す」という選択肢は、なぜか思い浮かばなかった。

鉄塔コースは確かに鉄塔伝いのほぼまっすぐな道だった。しかし、足下もまっすぐ平坦というわけではない。何度も谷を横切り、上ったり下ったりを繰り返す登山道で、道迷いへの不安もあって疲労はこの時点でピーク。初めて通る道だが、写真を撮る気力もない。もっとも、コース上は薄暗い樹林帯が多く、写真が撮りにくかったのも事実。
やっと上ってきた草尾根から、さらに山頂へと続く急坂を見たときには、足も前に出なくなった。2〜3歩歩いては休み、それでも残り時間が気になり時計を見ないではいられない。
時刻は15時30分を回り、16時に近づきつつある。地蔵峠を出発するときには「下山は17時台」だと予想していたが、今の状態だと18時、いや18時30分、・・・足は思うようにならず、気持ちばかり焦る。

冠ヶ岳山頂はほぼ360度に視界が開け、この日は見通しが悪かったが熊本市街地や有明海も一望できそう。しかし、眺めを楽しむ余裕はなく、すぐに縦走路との合流点へ進んだ。
山頂から縦走路合流点までは10分程度。地蔵峠からここまでまっすぐ縦走路を進んだ場合と比べ、1時間以上のロス。今度ここを歩く機会があれば、ペンを持ってきて地蔵峠の標識に片っ端から書き込んでやろう。
十文字峠は縦走路ではありません。冠ヶ岳近道はこっち→」と。

残るピークは俵山だけとなった。以前俵山峠から往復したときの俵山は、なだらかな草尾根が続く優しい山という印象が強かったが、反対側の縦走路はこの日最大の難所であった。
登山道には所々に「俵山→」の標識が立っているが、道が枝分かれしている場所には肝心な標識がない。十文字峠の二の舞を演じるわけにはいかないので、道の様子を確かめに行ったり来たり。なかなか先へ進めない。急坂のガレ場も多く、慎重に歩いていると下山予定時間がどんどん後ろにずれ込んでくる。
陽が西に傾き、雲の切れ間から淡い夕陽が稜線に差し込んできた。

息も切れ切れに、護王峠に到着。俵山まで上りを一つ残すのみとなった。古い地図には山頂部を迂回するルートが載っていたが、現在は荒廃してしまったのか見つからない。
最後の急な上り坂を何度も休みながら這い上り、やっと山頂手前の分岐点に到着。俵山山頂は、この分岐から数十m先にあるが、そこまで足を延ばす気力も体力も残っていなかった。
標高差はほとんどないので「俵山に登った」ということにしておこう。

少し休んでから俵山峠への下りにかかる。ここからはようやく勝手知ったる道、おまけにほとんど下りなのですいすい・・・のはずが、歩みはかなりスローペース。全員水も食糧も尽き、長大な縦走路を歩ききった達成感よりも、疲労感ばかりが大きかった。下山してまず何を食べるか、何を飲むか・・・それしか頭になかった。

登山開始から11時間20分後、やっと俵山峠駐車場に到着。とにかく無事に下山できただけで良かった。
次回は俵山峠から入り、回り道をしなければ10時間は切れそうだ。またやれば、の話だが・・・。