山名/標高 華山(げさん)/713m
登山日・天候 2011年11月15日(火)・晴
行程 神上寺駐車場(09:50)〜神上寺〜中宮分岐(10:40)〜中宮(10:50)〜東の嶽(11:00)〜西の嶽・仲哀天皇殯葬所跡(11:20)〜岩屋観音(11:55)〜神上寺駐車場(12:40)


登山口の神上寺は,紅葉の名所としても知られている。駐車場に向かう県道の左右には「紅葉祭り」の幟が立ち,大いに期待していたが・・・
行ってみると「色づきが悪い」どころか,大部分の葉がまだ青々としている。ここしばらく暖かい日が続き,樹木も季節感がおかしくなってしまったようだ。
境内から少し上ると,確か以前はなかったように思う(雪に隠れて気づかなかった?)舗装された林道が登山道を横切っている。何となく錯覚して右左折ししそうになるが,登山道はこの道を横断してまっすぐ進めば良い。出入口が草に隠れてやや見えにくくなっているので注意。
山頂への道は中国自然歩道としてよく整備され歩きやすいが,傾斜はきつめ。ペースを意識しないとすぐに息が上がってしまう。途中,岩屋観音と中宮に分岐するが,どちらの道をとっても東の嶽山頂に出られる。今回は中宮方面から山頂に向かうことにした。
分岐から中宮までの0.3kmはやや荒れ気味。中国自然歩道の経路はこちらなのだが,登山者には岩屋観音コースの方が人気なのだろう。
樹林帯をトラバース気味に進むと,視界が開けて舗装路(県道262号線)の前に出る。振り返ると,TVアンテナの立ち並ぶ東の嶽山頂が目線のすぐ上。
中宮はかつて権現堂が祀られていた場所で,776(宝亀7)年に寺院が建てられ,後醍醐天皇の治世(1318-1339)に麓に下ろされるまで,ここで様々な祭祀や行事が行われていたという。現在は,大きな基壇の上に小さな祠が残っているのみである。
ここから東の嶽山頂までは,祠のそばの遊歩道を上って10分程度。アンテナ密集地をパスして,直接三角点の前に出られる。ここも歩く人が少ないのか,道の中央部までススキが伸びていた。なお,西の嶽を最初に目指すなら,車道をそのまま歩いた方が近い。

東の嶽山頂からの眺め(南〜北西)。すっきりとした晴天だが,遠くは霞んでいた。
東の嶽山頂からは,西の嶽へ行く道が東屋のすぐ下に続いていたのだが,気づかずに車道の方へ下りてしまった。
少し大回りになるが,アンテナ方面に向かって舗装路を下り,作業道(先ほどの県道から分岐している)との合流地点を鋭角に左折し道なりに下ると,「仲哀天皇殯葬所0.2km」の標識が現れる(標柱が壊れたのか,道端に置かれている)。東の嶽から直接下る道も,この途中で合流する。
ちょうど200mくらい先に,集会所のような建物とこんもりしたピークが見えたので,てっきりこれが西の嶽だと思ったのだが,近づいてみるとここからさらに「殯葬所0.6km」の標識。先ほどの0.2kmの示す先は,殯葬所ではなく「殯葬所入口」であったのか・・・。
殯葬所までの残り600mは起伏が緩やかで歩きやすい道だが,距離標示にだまされた後では実際以上に長く,つらく感じられた。
やっと到着した(と言っても東の嶽から20分程度)仲哀天皇殯葬所。説明板には「仲哀天皇は熊襲征伐の途中で賊の流れ矢に当たり落命」とあり,石造りの鳥居と祠は,その熊襲のいた九州方面を向いている。陽当たりが良く静かな山頂で,ゆっくり休憩を取るならこちらの方が落ち着けそうである。
殯葬所の祠は明治24年に建立されたそうだが,祠の前に立つ石造りの標柱には「慶応4年戊辰夏六月」とある。「明治」の改元はこの年の9月だが,詔書によりこの年の1月1日に遡って改元ということになっている。当時の勤王・王政復古の風潮に合わせて建てられた(建て直された)のかもしれない。