山名/標高 小五郎山(こごろうやま)/1162m
山口県(錦町)と島根県(六日市町)との境界に流れる深谷川のほとりから一気に立ち上がる独立峰で,寂地山塊をひとつの山とみなした場合,山口県内で3番目に高い山となる。
古くは「宇佐ヶ岳」と呼ばれていたが,昔このあたりに住んでいた武士,佐伯太夫重氏とその息子小五郎にちなみ,いつしか小五郎山と呼ばれるようになった。
伝説によると,佐伯太夫重氏の所有する名馬「竜」の評判を聞きつけた朝廷から馬を差し出せとの命が下ったが,重氏はこれを断り,小五郎に家督を譲って隠棲。勅命に背いた罪は小五郎に被せられ,京の四条河原にて処刑されることとなった。宇佐ヶ岳の山頂で小五郎の最期を知った重氏は悲しみにくれ,そのまま竜と共に谷底に落ちて落命したという。北麓の河津に伝わる「崎所(さきのせ)神社縁起」では,この名馬を「炎を巻き上げる馬」と記述しており,精錬所のことを指すといわれる。小五郎山では古くから銅や銀の採掘が行われており,その利権を巡る朝廷との争いが「小五郎伝説」を生み出したのだろうか。この縁起によると,小五郎が処刑されたのは平安末期の1156(保元元)年とのこと。その後大正時代頃まで銅の採掘は続いていたという。

登山道は,島根県境に近い岩国市錦町向峠(むかたお)からの往復ルートが一般的だが,隣の容谷山からも縦走路が延びている(この縦走路を逆にたどれば,最終的には冠山まで縦走が可能)。
また,2009年には西麓の金山谷集落から山頂に直登するルートも開かれた。このルート上では,かつて山中で行われていた銅や銀の採掘跡を見ることができる。
向峠からの登山道は一部にササが被る区間もあるが,距離は短くササの下の踏み跡もはっきりしており特に問題ない。いっぽう,容谷山からの縦走路は利用する人が少なくほぼ全区間ササに覆われており,積雪期以外ではササ漕ぎを余儀なくされる難コース。
山頂からは北東〜南東にかけての展望が良く,天気の良い日は瀬戸内海に浮かぶ宮島(弥山)まで見渡すことができる。西側は木々が伸びて眺めを遮っているが,その間から安蔵寺山を間近に望むことができる。山頂よりもむしろ北尾根上のピークの方が展望は良いが,山頂からのほぼ平坦な道さえもヤブに覆われており,行くのに躊躇する。容谷山との縦走路を含め,整備されることを願う。


安蔵寺山からの眺め。
(2001.12)

山 行 記 録
2001.02.18 向峠から雪中山行。
2003.05.10 容谷山から縦走。
2004.06.13 冠山〜寂地山〜右谷山〜容谷山〜小五郎山を一気縦走。疲れた!
2016.11.05 金山谷鉱山ルートから上り,向峠に下る。


六日市町田野原地区からの眺め。手前は十王山(873m)。 (2005.05)


山頂に繁るササ原のイメージが強い小五郎山だが,ブナをはじめとして自然林も豊か。
5月,向峠から木漏れ日の中を山頂へ。野鳥の歌声がみずみずしい新緑の森に響きわたる。(2005.05)