前回は正面にそびえる皿倉山に向かって直登したが,今回は右寄りの道を進み,まず花尾山を目指した。 市立八幡病院や九州国際大学のそばを過ぎ,都市高速の上を渡り車道を道なりに上ってゆくと,「花尾東登山口」バス停に出る。 |
2〜3軒の民家を過ぎて少し上ると,左手に「赤穂四十七士の墓」の標示があり,これに従って山林に入ると,確かに四十七士の墓石が静かに並んで立っていた。これは1913(大正2)年に高輪泉岳寺から許可を得て福岡に分霊したもので,その後何度か移転し,現在の場所に落ち着いたのは1931(昭和6)年とのこと。 |
この道は山腹を巻くようにつけられており,合流点から左右どちらに進んでも山頂に行くことができる。今回は右回りに進み,花尾山頂に到着した。 |
花尾城の起源は,1196(建久7)年に宇都宮上野介重業が筑前国遠賀郡麻生郷に築城したのが始まりとされ,当時は麻生山とも呼ばれたという。 切り開かれた山頂からは,眼下に北九州市街地,彼方に関門海峡と下関の山々,背後に大きく迫る皿倉山,権現山など,変化に富んだ展望が広がる。 |
登山道は途中で皿倉平に向かう広い道と交差する(権現の辻)。権現山はこの道を横切りそのまま直進。以前に採銅所から縦走してきたとき,もう余力がなくここで権現山登頂を諦めた場所である。今回は充分余裕があるので権現山に向かうことにした。 樹林帯の緩い上りを抜け舗装路の脇に出ると,あとは道伝いに300mほどで権現山頂に到着。芝生の広場となっているが周囲の木々が展望を遮り,北に皿倉山の山頂部が見えるくらいで眺めはほとんど楽しめない。広場の片隅にある展望台は老朽化のためか立入禁止となっていた。 |
その2007年末に工事は完了し,現在は見晴らしが良く快適な(観光地としての,だが)展望公園となっている。林立していたアンテナもいくらか整理され減ったような印象を持ったが,視界が広がったので目障りに感じにくくなっただけかもしれない。 なお,山梨市の「笛吹川フルーツ公園」,奈良市の「若草山」にこの皿倉山が,「新日本三大夜景」に選定されている。 |
見る場所を変えながら360度の展望が楽しめる皿倉山。売りの夜景を望む北側は視界を遮るものが少なく,日中でも圧巻のパノラマが広がっているが, 福智山地の稜線が連なる彼方に英彦山のシルエットが浮かぶ南側はアンテナや建物が邪魔をし,ちょっと残念な眺めである。 |
皿倉平の手前まで来た道を引き返し,「薬用植物園」の看板から南東に舗装路を下る。「泉温内河・池水貯内河」と右から左に書かれた標識に従い山道に入ったあとはどんどん下ってゆき,30分ほどで貯水池のほとりに到着。 めまぐるしく風景が変わり,八幡駅から3時間30分しか経っていないとは信じられなかった。 |