山名/標高

九千部岳(左手前)越しに
平成新山,国見岳,妙見岳を遠望。
雲仙(うんぜん)岳
雲仙岳は,島原半島中央部にそびえる普賢岳(1357m),国見岳(1349m),妙見岳(1333m)の「三峰」及び野岳,九千部岳,矢岳,高岩山,絹笠山の「五岳」からなる山体の総称。俗に「三峰五岳の雲仙岳」といい,また,三峰のみを指して雲仙岳と呼ぶ場合もある。
普賢岳を主峰としているが,1990年から1995年にかけての火山活動で形成された溶岩ドーム「平成新山」の方が標高が高い(1482.7m)。平成新山は長崎県の新たな最高峰となり,2004年には国の天然記念物に指定された。
有史以後の火山活動は1663(寛文三)年の噴火が最初で,その後1792(寛政四)年,1798(同十)年にも噴火や噴煙活動が記録された。寛政四年の噴火では,地震による大量の土砂崩れで当時の島原の街が大被害を受けたのみならず,有明海に流れ込んだ土砂に起因する津波活動により,対岸の肥後天草にも大きな被害をもたらした。「島原大変肥後迷惑」と呼ばれ,有史以来の日本最大の火山災害として知られる。
1922(大正11)年の「島原地震」以降,1990年からの噴火活動まで群発地震が頻発し,2003年まで火山性微動が記録された。

普賢岳(手前)と平成新山

古くは「高来峰」と呼ばれ,「肥前国風土記」にはこの名で記述がある。701(大宝元)年,行基により山中に大乗院満明寺が開かれたと伝えられる。この満明寺の山号が「温泉(うんぜん)山」。また,これと併せて四面宮(温泉神社)も開かれたといわれる。四面宮はその後幾度か改称されたのち,現在も島原半島中に十数の分社を持つ温泉神社として信仰をあつめている。
温泉地としての開発は,1653(承応二)年に加藤善右衛門が開湯した延暦湯が始まりとされる。1695(元禄八)年には最初の宿泊施設が建てられ,これが現在の「湯元ホテル」の前身。
幕末には吉田松陰も訪れている。また,シーボルトらにより海外へも紹介され,島原キリシタン弾圧の悲史ともども,世界的に名の知られる温泉保養地となった。
開山以来用いられてきた「温泉=うんぜん」の表記は,1934(昭和9)年の国立公園指定の際に現在の字に改められた。1956(昭和31)年以降,かつて「迷惑」をかけた天草地域を含め「雲仙天草国立公園」となり,現在に至る。

観光開発が進み,登山の対象というより行楽地として名の知られた雲仙は,標高約1100mの仁田峠まで車道が延び,そこから妙見岳山頂までロープウェイを伝い,誰でも頂上に立つことができる。しかし,妙見岳から国見峠,普賢岳へと続く道は一部に鎖やロープのかけられた急峻な登山道であり,ロープウェイ乗り場や遊歩道沿いには,観光客が安易に登山道に入らないよう警告の看板が立てられている。

※平成新山は,2011年現在一般登山者の入山は禁止されている。

山 行 記 録
2007.11.24 田代原から九千部岳へ。
2007.11.24 池ノ原から仁田峠を経て普賢岳〜国見岳〜妙見岳を回る。
2011.10.08 吹越トンネル前から妙見岳〜国見岳〜普賢岳を回る。


有明町(現・天草市)道の駅から,島原湾越しに雲仙岳を遠望。(2005.01)


南島原市深江から望む平成新山(右手前)。(2010.10)