由布岳は別府市と由布市湯布院町の境界にそびえ,「豊後富士」とも呼ばれる秀麗なトロイデ式火山。山頂部が二股に分かれた双耳峰で,湯布院町側からの眺めが特に良い。古くから人々の目に触れ,その独特の山容や過去の噴火活動などから多くの民話や伝説が語り伝えられている。
登山道は,別府市から湯布院,久住高原を抜け阿蘇山麓に至る県道11号線(やまなみハイウェイ)に面した,通称「正面登山口」からのルートがもっとも一般的で人気が高い。休日は登山口の駐車場が満車となることもしばしば。他に,湯布院町内からはじまる標高差約1100mの西登山道(合野越から正面登山道に合流)や,山頂直下が急斜面で,岩場や鎖場が連続する東登山道などがある。
由布岳にまつわる言い伝え
由布岳と祖母山は共に男性の山で,鶴見岳は女性の山である。この三岳は,昔はくっつき合って同じ場所にいたという。
あるとき,由布岳と祖母山が同時に鶴見岳に恋してしまった。互いに譲らぬ鞘当てに,地震山崩れが続き,土地は荒れた。
やがて鶴見岳は由布岳と夫婦の契りをなし,熱いお湯を噴出させた。恋に破れた祖母山は,屈辱の姿を由布岳や鶴見岳に見られるのが嫌で,こんもり繁った樹木を身に纏い,遠く県境にまで退いた。その時こぼしていった涙が溜まってできたのが,今の志高湖だという。
同じ頃,由布岳に背比べを申し込んできた山があった。日向国の「高山」という山で,日頃から背の高さを自慢していたところ,豊後に由布岳という高い山があると聞き,はるばるやって来たのである。しかし,並んでみれば自分の方が遙かに低いので,高山は腰を抜かして動けなくなった。
腰を抜かしたから「腰抜山」,日向から来たので「日向岳」ともいう。今も由布岳の脇にある日向岳は、由布岳の山腹に噴き出た寄生火山のひとつ。
またある時,この地を訪れた西行法師(1118〜1190)が由布岳を称え,「豊国の由布の高嶺は富士に似て・・・」と詠みはじめると,「富士に似て」いると言われたことに由布岳が腹を立て,噴火を始めた。「駿河なる富士の高嶺は由布に似て・・・」と詠み直したら噴火が止んだという。
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